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蟹座までで個人の火地風水の体験は一巡し、獅子座からは相互関係を学ぶ段階に入ります。

関係性を学ぶと言っても、特定の人や集団の感情的な機微を知ることではなく、火のエレメントの固定サインらしく、妥協のない自分の信念や理想を、世界全土に向かって打ち出していくのが獅子座のスタイルです。

そして12サインの中で唯一、自ら光を発する恒星の太陽を支配星に持つゆえに、まず自分が輝くことが獅子座の最優先事項であり、それができれば自分から放たれる光で世界は自然と照らされ、集団としての利益も最大化されるというのが獅子座的な関係性の在り方です。

しかし、規律や調和を求められる世界で確固たる自分の個性を押し出すことは、その行動自体が批判の対象にもなり、物事がうまくいかないときには、「人の言うことを聞かないからだ」「みんなこうしているのに」と風当たりも一層きついものになります。

それでも、エネルギーを自家発電しなければならない太陽=獅子座にとっては、自分の意思や行動を自立的、独立的に決定できる、人間としての尊厳を保ち続けることこそが、その存在の核となることです。

尊厳とは本来人間誰しもが持つものであり、自分の尊厳を守るためには、人の尊厳を奪わなければならないといったゼロサムゲームのようなものではありません。

何を楽しみ、何を信じ、何を成すのかという獅子座の自己決定的な生き方は、同じことを信じろと他者にも強要しているのではなく、それぞれの個人が本当に自分で選んだ人生を歩もうじゃないかという、いわば世界に対するデモンストレーションなのです。

それゆえ、獅子座が表現する世界は個人の信念や理想を高らかに謳い上げるものであり、鑑賞者の魂にも、「自分の人生なんだから自分らしくありのままに生きればいいじゃないか」という自尊心の炎を燃え立たせるものになるのです。

今回は、獅子座の太陽を持つアルフォンス・ミュシャの作品と人生を題材に、獅子座が自ら放つ光と、尊厳が生む他者への敬意ということについて、お話ししていきたいと思います。

まずはミュシャの作品をいくつか見ていきましょう。

ミュシャと言えば、優美で独特の気品を感じさせるこれらのポスター作品が有名であり、19世紀末には、広くヨーロッパやアメリカで最も成功した装飾画家としての地位を確立していました。

チェコから身一つでパリにやってきたミュシャにとって、経済的社会的な成功は大きな意味がありましたが、以前から、チェコの歴史を描く先輩画家の仕事に傾倒していた彼は、挿絵やグラフィックアートの人気者であることよりも、正当な画家として尊敬されることを願っていました。

そして、1900年のパリ万博において、ミュシャと同じスラヴ民族の国家であるボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の壁画を制作したことをきっかけに、その後の人生を、構想をいつも胸に抱いていた、チェコのため、スラヴ民族のための作品に捧げることを決意します。

超上流社会の社交場を私の作品が飾り、笑顔を讃えた格調高い肖像画で上流階級の人々を喜ばせる私の作品を頭に浮かべた。伝説の場面、輪に編んだ花、そして美や女性の優しさを賛美する素描等をたくさん載せた本を考えた。自国の人たちが堀割の水で渇きを癒しているような時に、私は貴重な時間をこんなことに費やしていたのだ。心の中で、親愛なる人々のものを罪深くも乱費していた自分自身を知った。(中略)私は自分の残りの人生をもっぱら自国民のために仕事をすることで満たすのだと心に誓った。
アルフォンス・マリア・ミュシャ 生涯と芸術」ジリ・ミュシャ著より

装飾画への需要がどんなにあろうと、それが巨万の富や名声を生もうと、本当に自分こそがやるべき仕事でなければ真の喜びを得られなかったミュシャは故郷に戻り、家族でさえも事前のアポイントがなければ会わないほどの集中度をもって、16年の長きに渡りチェコとスラヴ民族を題材とした巨大画の連作を制作します。

それが、今年の3月から6月まで日本で公開されていた、スラヴ叙事詩というこれらの作品群です。

 

以前のうっとりとするような艶やかな描写や色彩から一転して、写実的な表現や暗い色調の作品も見られます。

この画像ではわかりづらいですが、実際には一辺が8メートルを超えるものある巨大な作品群です。

全20作のうちの、いくつかの作品を見ていきましょう。
(ここからは作品の細部に関する論考もあるので、大きな画像を見たい方は、画像をクリックするとWikipedia の拡大画像へリンクします。)

画面左下の極度に怯えている人物の目が印象的な第1作は、スラヴ民族が3~6世紀に異民族による侵略を受けた場面を描いたものです。

ヨーロッパはその域内も中東もアジアも地続きであり、古くからさまざまな民族が定住したり征服されたりを繰り返していました。南は旧ユーゴスラビアの国々があるバルカン半島、中央はチェコやポーランド、東には旧ソビエトの国々などヨーロッパ各地に暮らすスラヴ民族も、幾度となくその争いに巻き込まれてきました。

右上の空に浮かんでいるのはスラヴ民族の守護者のようにも見えますが、中央と左側の人物の腰に下がる刀はこれから長く続く民族独立への戦いを予感させます。(*画像クリックで拡大ページへリンクします)

 

 

(*画像クリックで拡大ページへリンクします)

この作品でも画面左上のゲルマン民族の侵略により、画面中央上のスラヴ民族は手を縄でつながれたり、戦いに倒れたりしている姿で描かれています。しかしここでは、その倒れている人物がまたがる馬の下の3人は楽器を持ち、その下には、うつむいてはいるもののナイフと作品を手に持っている木彫り師の姿があります。

この作品には「神々が戦いにあるとき、救済は諸芸術の中にある」という副題が付けられていますが、ミュシャは芸術に関して、このようなことを語っています。

芸術はその民族という土壌から芽生え、それ自体の根で成長し、その国という樹液によって葉を繁らせ、それ自体の花を咲かせる。他の諸国の花々と一緒にひとつの共通の花冠にからみつけられるために。独創的であればある程、それぞれの花はより美しくなり、花冠全体はより美しく価値のあるものとなる。
前出 「アルフォンス・マリア・ミュシャ 生涯と芸術」ジリ・ミュシャ著より

歴史上、民族間の争いが絶えたことはありませんが、ミュシャは芸術が救済である、すなわちそれぞれの民族や国家が自民族らしく独創的であることこそが異民族間の関係性にも価値を生むことだという信念を持っていました。最初の作品ではこちら側を見ていたスラヴ人は怯えていただけでしたが、芸術が登場したこの作品では、こちらを向いている母親は我が子を抱き、少なくとも差し迫った危機からは逃れ未来には希望が持てるような印象があります。しかし、その希望はすぐに打ち砕かれ、次のいくつかの作品には、多数の死者を出した戦いの後の光景が、そのむなしさや悲しみに満ちたトーンで描かれています。

  

(*画像クリックで拡大ページへリンクします)

ただ、これはNHKの「日曜美術館」という番組で劇作家の宮本亜門さんが指摘していたことですが、これらの戦いの後の光景には、血が一滴たりとも描かれていません。戦争に巻き込まれ、自らの尊厳を奪われた人々の悲しみや怒りは未来への戒めとして知らしめる必要はありますが、血で感情を刺激し、報復として今度は他者の尊厳を奪うことが戦いの解決になることは決してないというミュシャの主張の表れではないかと私は考えています。

実際、3枚目の作品には「悪に悪で報いるな」という副題があり、画面中央の黒い服装で首には布を巻いた宗教指導者風の人物は、手前の男が振り上げた拳を制止しているように見えます。辛い状況であればあるほど誇り高き存在であろうとするところは、そのプライドが自家発電の源となる獅子座的な社会に対する責任の取り方が現れているのではないでしょうか。

次のこの2作品は、個人や民族が尊厳を持つ存在でいるために欠かせない、思想や行動の自己決定がテーマのものです。(*画像クリックで拡大ページへリンクします)

 

両方とも宗教に関係する作品ですが、1枚目は、画面左側のカソリック教会の特使がローマ教皇への従属を迫るものの、画面右の民主的に選ばれたチェコの王は椅子を蹴倒し仁王立ちしている場面が描かれています。実は、画面右下のこちらを向いている少年が持っているのは「ローマの終焉」という本で、この作品にはいかなる権威をもってしても、民意で選ばれた王、すなわち個人や民族の自由意思や誇りは損なうことができないという寓意が込められているように思われます。

2枚目の作品は、1500年代後半における聖書のチェコ語への翻訳と印刷を題材にしたもので、ドイツに始まったルターの宗教改革の波は数十年の時を経て、スラヴ民族の元にも到達した場面を描いたものです。

これも思想や行動の自己決定に深く関わっていて、この翻訳以前の聖書はすべてラテン語で書かれていたために聖職者など特定の人しか読むことができず、教会が必要以上の権威を振りかざしたり、人々の無知に付け込んだ根拠のない宗教行為が横行したりする原因になっていました。これ以降、信仰のあり方も個人の選択による部分が増し、権威や伝統から個人や民族が自己決定権を取り戻すことになり、それはスラヴ民族にとっても、個々人や民族の独自性の重要さを信じるミュシャにとっても大きな意味を持つ瞬間だったのではないかと私は考えています。

そしてスラヴ叙事詩の最後を飾るのが、この「スラヴ民族の讃歌(副題:スラヴ民族は人類のために)」という作品です。(*画像クリックで拡大ページへリンクします)

中央上部の大きな人物は、チェコスロバキアや第一次世界大戦後に独立を果たした国家群の擬人像で、まさに自立、独立、尊厳を備える人間の威風堂々たる姿として描かれています。画面右下の神話の時代や上部の背景部分が象徴する抑圧や戦争の時代もあり、中央から左下の黄色で描かれた人たちの姿は、まるで戦いののちに自由を手にする映画のエンディングシーンのようです。

らせん状に連なるこれらのすべてがスラヴ民族の姿であり、そこにはミュシャの、「他の民族にもそれぞれ輝かしい歴史や功績はあるけれど、我がスラヴ民族も自分たちのありのままの姿で偉大で気高い存在ではないか。自分たちに誇りを持とうではないか」というメッセージが込められているように感じられます。

そして、この擬人像と画面中央の女性が花輪を持っていることからも、独立というテーマでミュシャが描いているのは、周辺国を力で抑え込み自国の意志を通すことが独立なのではなく、自己決定権を手にした民族や国家だからこそ、他国の尊厳にも敬意を持つことができるという、まさに獅子座的な独立の概念ではないでしょうか。

ミュシャもチェコスロバキアが独立してすぐの時に、こんなコメントを残しています。

我々は自由だ。しかし《スラヴ叙事詩》の使命はいまだ完了していない。外国の友人たちに、そして敵に対してさえも、我々がかつてどうあったか、現在どうあるのか、そして何を望むのかを告げようではないか。スラヴの精神の力強さが尊敬を集められんことを祈る。尊敬からこそ、愛が生まれるからだ。
前出 「アルフォンス・マリア・ミュシャ 生涯と芸術」ジリ・ミュシャ著より

ミュシャの信念もむなしく、彼はナチスドイツのチェコ併合と共に投獄されそのまま亡くなってしまい、スラヴ叙事詩も永らく忘れ去られた状態にありましたが、2012年になってプラハで全作品が揃って展示されるようになり、その独立と調和のメッセージはむしろ現代になって世界的な注目を集めています。

日本での展覧会も会期中に来場者が50万人を超えたほどの人出で、もちろんポスターなどのかねてからのミュシャ人気はありましたが、私個人としては、個性を出すことが憚られる文化に暮らす私たち日本人にとって、スラヴ叙事詩の持つ「ありのままの自分に誇りを持とう」という獅子座のメッセージは魂に響くものだったのではないかと考えています。

装飾芸術で大成功を収めながらも、自分が本心から選んだ仕事で光り輝き、それがスラヴの人々の精神を高揚させるという相互関係のあり方。

自民族の独自性と自己決定権を肯定し、それは決して他民族の尊厳と相反するものではないという独立の概念。

ミュシャの作品と生き方からは、太陽が光れば光るほど世界は明るく照らされ、自尊心があるからこそ他者の存在も認められるという、まさに獅子座らしい価値観を見ることができるのではないでしょうか。

 

 

この記事を書いたひと

丸尾陽介

会社経営のかたわら、2015年より心理占星術を学んでいます。

2016年には国内外で延べ70館以上をまわった趣味の美術館めぐりがきっかけでこの記事を書いています。


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会社経営のかたわら、2015年より心理占星術を学んでいます。 2016年には国内外で延べ70館以上をまわった趣味の美術館めぐりがきっかけでこの記事を書いています。