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獅子座では、自分の個性を最大限に発揮することによって集団としての利益を最大化するというスタイルで、相互関係の構築を目指しました。

誰もが自分のベストを尽くせば集団としてもうまくいくはずだというのは、理想論としては同意できるところもありますが、たとえばサッカーの試合でフォワードの選手を11人並べて、全員が自分の得意とするゴール前でチャンスを待っているだけでは、勝負になるわけがありません。

集団を機能させるためには役割を求められることがあり、その役割とは、自分の個性によって決められる場合もあれば、自分や集団が置かれている環境に応じてや、集団内での個々人の比較において決定しなければならないことも多々あるでしょう。

乙女座では、地のエレメントらしく自分が持つ感覚や才能を生かそうとするという点では獅子座の哲学と似ている部分もありますが、そこに支配星の水星が持つ知性による環境の理解という側面が加わります。

水星がもたらす客観性を持った批判・分析能力によって、自分の才能と環境の求めるところが最大公約数的に調和できるポイントを見出し、柔軟サインの特性によって、そのアウトプットを常に改善していこうとするところが、乙女座のよりよい相互関係の求め方です。

改善というのは、他のエレメントで語られる革命や理想、神秘などというボキャブラリーと比較すると、なんとも日常的な響きがあります。

しかし、自身の資質への確信は保ちつつも、持ち前の批判精神を自分にも向けることで、小さくとも日々何かをよりよくしているという実感こそが乙女座の求めるところです。

たとえ勇ましく高い理想を掲げていなくとも、自分の感覚を土台とした改善の連続が乙女座のアウトプットを高みに上らせ、結果としてその作品世界をそれ以上何も足すことも引くことも必要のない、類まれな完成度をもったものに仕上げることができるのです。

今回は乙女座の太陽を持つ菱田春草の作品と人生を題材に、乙女座のたゆまぬ改善と比類なく完成された表現世界ということについてお話ししてみたいと思います。

まずは春草の作品をいくつか見ていきましょう。※画像をクリックすると拡大画像を参照できます。

  細部にまでいきわたる美意識とそれでいて力みがまったく感じられない描写、余白さえ何を語るかのような構成に春草の確かな感覚を見ることができます。
パッと目を引く派手さは全くないものの、日本画ならではの、そして彼ならではの世界観が、じんわりと胸に染み入ってくるような感じがあります。

幼い頃から絵に才能を見せた春草は、1890年(明治23年)、15歳にして長野県の飯田市から上京し、東京芸大の前身である東京美術学校の第3期生として本格的に絵の勉強を始めます。

この当時の日本はいまだ治外法権も撤廃できておらず、国家として近代化を遂げ欧米列強と並ぶ国際的地位を手に入れることが急務であり、その文化的水準を示すためにも、日本画を西洋のサロン芸術と並ぶものとして世界に認めさせることを強く望んでいました。

すでに浮世絵などは欧米で広く流通しており、印象派などジャポニズムに影響された作品は数多く存在していたものの、ただの伝統画や国内では庶民の芸術であった浮世絵などではない、世界基準で勝負できる新しい日本画の創生こそが、いわば国策としての東京美術学校の設立の目的でした。

春草の美術学校時代の作品がこちらです。

日本画をとりまく国内外の状況、美術学校の当時の校長で生涯深く関わった岡倉天心との出会いなど、その時々の環境の求めに、自分の感覚と表現の創意工夫で応じる春草芸術の積み重ねは、ここから始まりました。

1枚目の作品は、春草2年次に技術試験として狩野派の技法の習熟度を示したもので、2枚目の作品は、カリキュラムで学んだ技法を用いて、「自己の意匠を用いて画様図按を作らしむ」卒業制作として描かれたものです。
学校の課題であることから、これらの作品が伝統的な様式の範疇にあることは間違いありませんが、特に2枚目の作品に見られる自信にあふれる線や、鎧や指先までのディテールの細かさは確かな技術を感じさせます。

また、この作品は同年に起こった日清戦争に影響を受け、太平記の中にある、争いに敗れた夫を失った妻が男児を出産したものの、追っ手を避けるために声も立てずにあばら家で3年の時を過ごしたという話をもとに描いたと言われています。

卒業制作という点では、アカデミックな歴史の物語画という体裁を取り、新しい日本画の追求という点では、戦争とその惨禍という同時代の出来事を画の意味合いに盛り込むという革新性があり、その両立には、外的環境の分析と確かな技術という乙女座らしい調和のとり方がすでに表れていると言えるのではないでしょうか。

首席で美術学校を卒業した春草の次なる取り組みは、輪郭線を使わない、没線描法というものでした。
言葉で書くとあっさりと聞こえますが、線こそがその表現の要であり、一発勝負で線を引く筆さばきが技法以上の意味合いを持っていた日本画の世界では、その根底に疑問を投げかける伝統破壊のようなもので、それは相当に厳しい批判を受けます。

もともとこの試みは、西洋画において印象派の光を描く取り組みが絵画の近代化を進めたことに影響を受け、岡倉天心が春草や同じく弟子であった横山大観に「空気を描くことはできないか」と言ったことから始まりました。

その当時の作品が、こちらです。

拡大図を見るとよくわかりますが、岩にも山にも葉っぱにも、それまでの日本画に見られた輪郭線はなく、絵の奥行きは、距離に従ってものの形が不明瞭になることによって表現されています。

実際に私たちが風景を見ても輪郭線があるわけではありませんし、印象派の絵がヨーロッパの乾燥した空気の中の強い日差しをよく表しているように、この霞がかったように見える風景は湿度の高い日本の空気感をうまく表現できているのではないかと私は思います。

一ト口に申しますると、西洋画のように写生にも偏せず、日本画のように理想にも偏しない画を描いてみたいのが吾々共の考で、此考で描く所の画が最もよく今の時勢にハマって居らうかと信じて居ります。
「大観 春草 両画家の美術談」新潟新聞1901年8月14日 引用は「もっと知りたい 菱田春草 生涯と作品」より

春草自身もこの新しい試みこそが、近代化によって自我や自由などの価値観を手に入れつつある時代の、そして西洋画でも旧来の日本画でもない、一歩進んだ日本画となるのではないかという思いを語っていますが、国内の鑑賞界には少し急進的過ぎたのか、春草や大観の作品は「朦朧(もうろう)体」と揶揄され批判の的となってしまいました。

それでも、新しい日本画の確立には西洋の研究も必須であると、天心の誘いに応じて同行したアメリカでは、すでに印象派の絵画は広く知られていて、そこに日本画独自の風合いとエキゾチックさがプラスされたように見える春草の作品は高値で売れるようになります。

春草自身は、工業化の影響で粉塵が舞うアメリカの空気と食べ物など生活環境には閉口したそうですが、作品が売れるからには展覧会を複数回開き、資金を貯めそのままヨーロッパも周遊することとなりました。

飯田市美術博物館・菱田春草コレクション

このページにある「夕の森」と「夜桜」がアメリカ滞在時の作品で、日本時代よりもさらに「朦朧」とした印象と細やかな鳥の描写があり、理知的で明快なものがあふれる西洋社会の中で日本的な情緒と繊細さを強調している点は、環境分析と、没線の研究を進めたい自身との巧みな折衷のようにも感じられます。

アメリカとヨーロッパでの人気や、現代でも特段古さを感じないこのスタイルを見ると、そのままの路線でも新しい日本画を確立したと言えたのではないかと想像できますが、春草は帰国後もさらなる改善に取り組みます。

これは文部省主催の展覧会への出品作ということもあり、題材自体は伝統的なものに戻っていますが、輪郭線のなさはそのままに、今度はオレンジと青や緑との組み合わせなど、従来の日本画にはなかった明確な補色の対比を見せるようになります。

この拡大図を見ると分かりますが、台の上の菩薩の左肩から足のほうにかけてオレンジと青が混ざっているように見える部分は、実は新印象派が用いた点描画法のように異なる色の多数の小さな点の組み合わせで描かれています。

春草はこの作品の制作の前に、大観との連名で「絵画について」という論文を発表しますが、そこでは、西洋画と日本画などの枠を超え、彫刻でも文学でも音楽でもない、絵画だからこその醍醐味は色彩にあるということを語っています。

(中略)彫刻は漸(ようや)く塑像となりて頗(すこぶ)る写実の画趣を得たる今日に当たり、独り絵画の猶ほ描線に留まりて、殆んど彫刻の形式に類せるは、画道の為めに今更心細き次第と在候。(中略)然るに色は刺戟(しげき)にして理念に訴ふるものに候へば、彩画は忘我の快感を与ふるの最捷径(しょうけい)と在候。実に文学に非ず、音楽に非ず、又彫刻建築にも非ずして、別に絵画の絵画たるべき本領は、専ら此色調の上に存するものと在候。
「絵画について」菱田春草 横山大観著 引用は前出「菱田春草」近藤啓太郎著より

日本画の伝統からはもちろんのこと、世界を知り西洋画からも必要なことを学び、色彩の研究によってジャンルを超えた絵画の本領に迫った春草は、それでもまだ自分の絵画への批判精神を失わず、今度は「画の面白味」を出すために、作品内の遠近について研究を進めます。

ここで生まれたのが、春草の代表作、「落葉」の連作です。

近年の調査によってこの連作の順序が明らかになり、ここでは第3作と最終作である第5作とを並べてありますが、木の根元に注目してみると、後のものでは奥行きの遠近が狭くなっていることがわかります。

それにつれて春草の感覚で裏打ちされた余白が増え、秋の空気感や落ち葉のかさかさという音さえ心地よく響きそうな静謐さを引き立たせ、この題材の絵画として、もうこれ以上何も足すものもなければ引くものもないという完成形にまで到達しているように感じられます。

色彩の明るさや橙と緑の補色関係はそのままに、一部の葉には輪郭線が復活していることや、連作の中で徐々に奥行きを無くしていくところからは、画の面白味を出すために、一歩一歩改善を試みる春草の姿勢が伺えるでしょう。

それにつけても速やかに改善すべきは従来ゴッチャにされて居た距離といふことで、これは日本画も洋画と同様大に攷(かんが)へねばなるまい。自分も是れまで始終このことは注意してゐた積りだが、この大切な法則が動もすると画の面白味といふことと矛盾衝突するところから、遂ひそれの犠牲になって了ふ。『落葉』にもさうした場合が多かつた。決して頭から此の法則を無視した訳ではなかつたのであるが
前出「菱田春草」近藤啓太郎著より

そして、この翌年に発表されたのが、「落葉」と並ぶ春草の傑作である、この「黒き猫」です。※画像クリックで拡大します。

ここにも春草の積み上げた工夫が現れていて、「落葉」にも見られた葉の色彩は橙と緑の補色関係だけでなく、黒猫と対比することでより美しい共鳴関係を持ち、さらに狭くなった奥行きと全体の構成によって、写実性と画の面白味との調和がこれ以上ない形で実現されているように感じられます。

春草は猫もたびたび描いていますが、毛を線で描いていた他の作品とは違い、この猫は墨のぼかしのみによってその毛並みが表現されていることで、より生命感を感じさせるものでもあり、同時により絵画的でもあります。

私個人としても、この「落葉」と「黒き猫」は、日本画も西洋画も関係なく世界が誇るべき比類のなく完成された作品だと考えていますが、日本画家の東山魁夷氏は、春草芸術の到達点について、次のように語っています。

不滅という言葉を説明するのは難しいんですけれども、時代性を超えて、いつまでも日本人の心に深く伝わってくるものを持っている。そしてまた新鮮さを失わないという、そういう意味で言ったんです。(中略)特に私は、名作と言われる「落葉」と「黒き猫」にそれを感じますね。(中略)どちらも装飾的でありながら、生命感を失わない。この相反する要素をうまく融合していて、それがやはり日本画のいちばん大きな課題でもありますし、それに成功した名作といえます。
NHK 日曜美術館第4集 テレビ対談のスクリプト『私と菱田春草』より

「黒き猫」を描いた時点で春草はまだ36歳でしたが、それ以前から患っていた腎臓病が原因で、画家としては致命的な網膜の病気も再発し、翌年にはその早すぎる生涯を閉じることとなってしまいます。

一つ一つ絶ゆることなく改善を積み重ねる春草だけに、せめてあと数年の活動期があればどんな境地に達していたのだろうかという想像は禁じ得ないところですが、京都国立近代美術館長などを歴任した尾崎正明氏は、岡倉天心の言葉を引用し、春草という画家の本質について次のように述べています。

いわく、春草は『不熟』の天才であった。不熟であるがゆえに『智的の焦慮』を持ち、徹底して改革者であり続けようとした数少ない画家の一人であったと。そしてこう続ける。『畢竟彼の絵は此の意味に於いて実験室に於ける試験なので、世間では唯無暗に変な絵を描くと思ったかもしれないが、其の動機を見れば根底のあることである。殊更に奇を好んだのでも何でもない、彼は仏画杯(など)も写して大分古画の研究も積み近頃漸(ようや)く自分の境涯に入った処だったのに惜しいことをした。境涯に入った丈(だ)けだから勿論未だ成熟していない。が今日成熟する人は心細い、大体の問題が未だ成熟してはならぬ様に出来て居るからである』
前出「もっと知りたい 菱田春草 生涯と作品」尾崎正明著 より

日本画の近代化の最先端にいた若き才能を失ったことは当時の美術界に大きな衝撃を与えましたが、点描画法が試された「堅首菩薩」、「落葉」や「黒き猫」などの作品は、日本画史上の不朽の名作として、春草の死後、国の重要文化財として指定されることとなりました。

春草の出身地である長野県飯田市の美術博物館や東京の永青文庫山種美術館などは重要な春草作品のコレクションを持ち、国立近代美術館では今年の9月12日から、もうひとつの重要文化財作品である「王昭君」の展示が始まるなど、春草の絵画は現在でも愛好家が待ち焦がれるものとなっています。

時代の流れや師からの要望、または異なる文化の中で求められるものを理解し、自分の美意識によってそれに応じる知性と感覚。

自分の絵画に対しても常に批判・分析の精神を持ち、たゆまぬ改善を積み上げることで結果としてたどりつく、完成された静謐美の世界。

春草の作品と生き方には、個人と環境との融合を図りながら自身の芸術を一歩一歩向上させ、その積み重ねで類まれな完成度に到達するという乙女座ならではの成長のあり方が見られるのではないでしょうか。

 

この記事を書いたひと

丸尾陽介

会社経営のかたわら、2015年より心理占星術を学んでいます。

2016年には国内外で延べ70館以上をまわった趣味の美術館めぐりがきっかけでこの記事を書いています。


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会社経営のかたわら、2015年より心理占星術を学んでいます。 2016年には国内外で延べ70館以上をまわった趣味の美術館めぐりがきっかけでこの記事を書いています。