身体と心理占星術

私は、15年ほど前からリフレクソロジーに携わっている。
人の足裏をとおして身体に触れ、施術をしていると、なかなか解消されない慢性的な疲れや不調、もやもやを抱えていることがよく感じ取れた。これらはいったいどこから生まれているのか? という問いを持つようになっていった。
体のメカニズムとして科学的に説明できることや対処的にできることはあるけれど、十把一絡げに語ることはできないし、それだけではなんだかしっくりこない。目に見える表面や知覚できるところでその不調が生まれているのではなく、それは見えないところで沸き起こっている力によって表出している単なる現象ではないか? その沸き起こる力が不調の「根拠」ともいえるものではないかと感じていた。そしてその「根拠」にたどり着きたいという思いが芽生えた。

世の中には、心を扱う専門家や、見えないものが見えるという人もいるが、自分はどちらでもないし、そのいずれかに向かうのも気がすすまなかった。
さてどうしたものか、と「根拠」へのアプローチをぼんやり模索して10年が過ぎたころ、占いとはまったく縁遠かった私がふとしたきっかけで「心理占星術」に出会った。占星術は「星=天体」の配置や角度があらわす象徴をよみとっていく技法である。その占星術の説明に用いられるフレーズを聞いた時に電流が走った。

 “as above, so below” (下にあるものは上のごとく)

古代の人々が地上で起こることや重大な決め事などを、天体の配置から予測していたという起源からうかがえるが、巨大な宇宙で起きることは地球でも起こり、世界で起きていることは個人レベルでも自分の内面でも起こっている。つまりすべてが相似関係であり、下のもの(こころ)と上のもの(天体)とは互いに関連、影響しあっているという考えである。
見えないパーソナルなその人の「根拠」を、だれにも等しく輝きをみせて存在する「天体」と結びつける。個であり、全体の一部であり、また全体でもある、という感覚が自分のなかのくぼみにぴったり収まる着地感があった。

nicoさんの教える心理占星術はいわゆる「12星座の星占い」とは一線を画していた。未来予測的な占い—結果として現れる出来事や現象を予測する—という観点よりも、それを引き起こす「根拠」、見えないところでわきおこっている力、ジレンマや葛藤を読んでいく。そして、そのものがそのものとして在るなりたちまでも見えてくる。補完しあうため、次のステップへの準備、さらに高いステージへのつながり、なぜそのように在るのかをも表している。
さらに、滞っていたり、抑圧されていたりする「根拠」のエネルギーが社会の中でよりスムーズに表れる方向を探るというところが醍醐味だ。そこにはその人の歩んできた人生や置かれている環境と、今の時代背景が大きく関わってくる。そしてその本人にとって腑に落ちる流れの方向を共同作業で探していく。
言うほど単純ではないが、言うより現実はうまくできていると思う。

足の裏を刺激されるのはなんとも気持ちがよい(と私は思っている)
意識と無意識をいったりきたりすることもしばしば。普段まとっている重い鎧もおのずと外している。その時の表情は「無垢」という言葉がぴったりくる。余計なものがなにも付着していない。
心理占星術もまた、これが自分だと思っている固定観念や常識などの余計なものをはずして無垢な自己の可能性にアプローチする点では共通している。

足裏をとおして見える身体という「現象」と心理占星術から見える「根拠」の双方に触れる探究の旅は始まったばかりだ。