蠍座の季節によせて ~ デイヴィッド・ルーカス「ほらふきじゅうたん」

※2016年11月記事の再掲となります。

 

うさ子だよ。

すっかり、秋だね。
ひと雨ごとに、公園や遊歩道の樹々が赤や黄色に色づいていき、空気も何とも言えない木ノ葉の熟成したような香りに包まれている。どこからか、秋祭りの太鼓を練習する音も聞こえてくるし、四季のある日本って、やっぱりいいなと思う。

止まない雨はないって言うけど、季節が変わることで、何かひとつふんぎりをつけて前に進めることもあるしね。

 

さて、今回紹介する絵本は、「ほらふきじゅうたん」

ある公爵のお屋敷の一室で、トラのじゅうたんと大理石でできた女の子の会話で繰り広げられる物語だよ。

 

女の子の名前はフェイス。何百年もそこにすわって、窓の外をみていた。
そのフェイスが目を覚まし、考え始めた。「ここはどこだろう。わたしは、いつから、座っていたのかしら」と。

 

すると、すぐそばで、ひくい声が聞こえた。「そうさ。きみは、眠っていたのさ。とうとうしゃべったか。記念すべき日だな」それは、トラのじゅうたんだった。

 

トラのじゅうたんは、フェイスは本物の女の子そっくりに作られた石像なんだよと教えてくれた。フェイスは「信じる」という意味だよとも。

 

トラのじゅうたんと大理石の女の子フェイスのおしゃべりは続き、「どうして、こんなことになっちゃったの?」というフェイスに、トラは「うそかほんとかしらないが、きみもむかしは、本物の女の子だったらしい。魔法で石にされてしまったらしいよ」と答えるのだった。

 

「どうすれば、魔法はとけるの?」というフェイス。

「かんじんなのは、いうべきことばを、いうべきときに、いうべき順番で口にすることらしい」と答える、トラ。

 

トラとフェイスの長いおしゃべりが続く中、フェイスの夢は本物の女の子になることで、トラの夢は空飛ぶじゅうたんになることだということがわかる。

 

象が本物の女の子? トラの毛皮のじゅうたんが空飛ぶじゅうたん? そんなことって実現すると思う?

 

でもね、夢はかなうんだよ!

 

フェイスとトラがそれぞれの夢の姿になっていく様は、まさに蠍座の変容を見るような場面だ。

フェイスが長い時間をかけてトラのほら話を聞かされていくうちに、自分が本当の女の子なのだと信じ込み、確信になり、最後はしり込みするトラに、「あなたはやっぱり飛べるんじゃない?」とささやき、ラストシーンで二人は夜空を空高く飛んでいくんだよね。

 

勇気をふるいたたせ、ともに成長していこうという姿勢、最後に一緒に飛躍しようという思い、このあたりが蠍っぽいなと思う。

 

信じること。それには、忍耐が伴うことが多いように思う。
信じて待つ。心が折れそうになることもある。
結果を信じる。だけど、一番は自分を信じることなのだと思う。

 

私自身かつて、この「ほらふきじゅうたん」を読み、勇気を与えられ、一歩踏み出すことができた一人である。

 

当時、私はPTAの役員をしていた。そこで、とんでもない不条理な目にあい、落ち込むこと半端なかったのである。学校に行くことすら怖くなり、大げさかもしれないが、いじめを受け、学校に行けなくなる子どもというのはこんな気持ちかもしれないなぁという心境だった。

 

どうやってそれを乗り越えていったかというと、ふと、自分自身気づくことがあり、今まで興味のあったセラピーのようなものをあれこれ受けてみた。それと、もう一つは読み聞かせのボランティアだけは続けたのである。

 

その中で、出会ったこの本、「ほらふきじゅたん」!
この本の中で、トラの言った「かんじんなのは、いうべきことばを、いうべきときに、いうべき順番で口にすることらしい」というこのセリフが、当時の私の心に妙に染みわたったのである。

 

変だ変だと思っても口にだす人っていないんだよね。

「ほらふきじゅうたん」のトラのじゅうたんのように、何かしら夢のあるほらをふいてくれる人がいるといいなと思うし、子どもにこの本を読み聞かせすることで、その子にとっての「ほら」を信じることで、しあわせな姿に変容していってくれるといいな。

 

少し長いお話だけど、秋の夜長に読んでみて。

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