みねんこです。
いまでもコンプレックスに思うことがあります。西洋占星術、心理占星術を何年か学習していて、それ自体はとても楽しいです。しかし、意識に引っかかるのは経験値という問題です。
わたしの場合、周囲の知人に出生年月日を聞いてホロスコープを見させてもらうということはあまりやりませんでした。心理占星術をはじめて1年ころに、そういった欲求が湧いたときもありました。数人に趣味を打ち明けてサンプルになってもらいレポート作成して渡しましたが、あまりつづきませんでした。
やればやるほど不安になったのがその理由だと思います。相手はさほど占星術に興味がないので、彼らの反応をどう受け止めたらいいのか。だいたい、わーすごいね、こういうこともわかるんだね、ふしぎだね、あたっている気もするなー、どうもありがとう、という返事です。フィードバックという意味ではさほどありがたみがないなと感じてきたのでやめました。
人に出生年月日を聞くようになるより前、趣味を周囲に開示していない頃には、毎日その日生まれの有名人の個人天体とアスペクトを読みノートに書きました。ついでに対向サインの有名人も合わせて読みました。サインがセットでイメージできるのと、半年で12サインが終わるのでいいと思いました。毎日同じサインを扱うので多少飽きてきます。なので月のサインと、個人天体のアスペクトで変化をイメージするのがポイントでした。
また、読むといっても、市販の基礎本(松村潔)にある天体×サインの記述を個人天体すべてについてノートの1ページに書きだす作業です。もう1ページに太陽と月に関係するメジャーアスペクトの種類とその説明を書き出しました。これは時間短縮のためにひとつのアスペクトに対し箇条書き3つ程度にとどめました。
ページの残りに、ここまでの書き出しを短文にしたら太陽はどうか、月はどうか、全体でどんなふうかをメモしました。占い文というよりも感想的な推測や、疑問などになりました。スムーズにイメージできる点とそうでない点がなんとなくわかりました。
毎日まいにち、「双子座の太陽は、、、」「射手座の太陽は、、、」の4、5行を書き写すので機会的な刷り込みができました。とはいえ、それがどんな文だったかいまは思い出せませんが。あまり知らない有名人にあたると、サインとリンクするような記述を探すイメージでwikiを斜め読みして、感想を無理やり作りました。
だいたい1時間の作業、約3ヶ月、100人でキリがよく、活動・不動・柔軟をカバーしたところで終了しました。この頃の努力が詰まったノートは今でも宝物です、、、とは感じません。もう見ることもないですね。
この頃は自宅にパソコンがなかった、スマホもなかったので、市販本の巻末の天文暦を見て調べていました。有名人はどのみち出生時間がわからないのでハウスを考えることもないため、円いホロスコープにする必要はなかったのです。でも文章だけだとサッと見てサインがわかりにくいので、10天体の記号とサイン記号を小さな表にしてページのはじめに書きました。
表は3列3段で、最上段が左から天王星・土星・海王星、中段が左から火星・太陽・木星、下段が左から水星・月・金星です。そして表の上の中央に冥王星を書き足しました。中央列を冥王星・土星・太陽・月の縦ラインにしたかったのです。左は活発な天体、右は受け身の天体のイメージです。
個人レッスンを受けていた向真希先生にノートのことをお話ししました。コツコツやる点は褒めていただいて嬉しかったです。しかし、このままだと円いホロスコープに天体が配置される様子に触れることができない、というアドバイスをもらいました。なるほど、そうです。占星術的ではないですね。
そこで出生時間がわかる人のチャートを見なければと思い、背に腹は代えられず周囲の人たちに協力を願った次第です。家族、親族、友人、その友人など頑張っても30人少々。この必要性のおかげで、大人になって始めたひそやかな趣味を周囲に少しずつ開示することになりました。そういうものに時間とお金を割いているということ、けっこうマジなことも合わせてカミングアウトする羽目になります。わたしにとってひとつの通過儀礼でした。
パソコンはあるけどソフトはないので無料サイトでチャートを出していました。プリントせずにやはりノートに。チャートはフリーハンドで円とハウスと天体を模式し、引き出し線でサインと度数を書きました。アスペクトは色ペンで結びました。いま考えると面倒な作業ですが、以前のノートよりもホロスコープが一瞥できるので進化したことを喜んでいました。書き出す項目をワークシートふうに作成したものに相変わらず手書きでした。
人に渡すにはそういう配慮が必要だということも、おそまきながら発見します。また、あまり説明的じゃなくて、理解されやすい文章にまとめる必要があります。用語を省くことと、断定的でなく失礼にあたらない表現にすることを工夫しないとなりません。アスペクトがこうだから、、、サインがこれだから、、、という解説部分を最低限にしないと、とてつもなく読みにくい長い文章になりますよね。知識を披露したい欲求や自己満足は犠牲にしなければなりませんです。
オカルト的なものにとられたくなかったので、表現できることも一般的な平易な内容になります。まぁ、ドラマチックな感想をフィードバックされるほどのものにはなりにくいですね。ということで、反応も平凡でいまひとつ楽しめなかったので終了しました。