嫁にいこうプロジェクト#02:なぜ私は嫁にいきたいのにいけないのか…スタートラインに立ってない問題

前回の宿題(ホロスコープから推せる魅力を浮き彫りにする件)は、華麗にスルーします。ごめんなさい。
なぜなら現在そのメソッドづくりを本格的にしようと、原案をみんなでこねこねしているので、もう少しお待ちくださいね。

今回は最近、自分には根本的にこれが足りなかった…という事に気づいたので、第2回の嫁プロは、これが致命的に足りてなかったんだ…今なら薄々わかる…ってことに言及していこうと思います。
嫁にいきたいのにいけない原因…っていうか、あんたスタートラインにさえ立ってなかったよ問題。

一言でいえば、目の前の生身の人間をちゃんと見てなかったし、パートナーシップがどういうことなのかわかってなかった。

これに尽きる。それゆえ、スタートラインにさえ立ってなかった。
どういう事かというと、下の3つです。

①相手のいいところも悪いところも受け入れて、二人で生きていく覚悟
②現実を知らなかった問題
③それにより、現実問題、何を望むのか明確じゃなかった。

① 相手のいいところも悪いところも受け入れて、二人で生きていく覚悟

まずは①から…
まぁ、これは具体エピソードからお話ししましょう。
結論から言うと、自分の理想の型に相手や自分を押し込めようとして自爆したって話です。

わたしは今でこそ、わりと自己肯定感も自己受容感もそこそこで、自分の価値観や好みを持ちつつ…それによって色んなことをジャッジせずに、多様性として受け止めて楽しもうってスタイルで快適に楽しく生きているのですが、自爆した当時は今より完璧主義で(というか強迫観念ですね)ストイックでした。
何が正論でとか正義でとか、他者や社会の物差しで自分も他者もはかろうとしていて、大変に苦しかったですね。

で、本題なんですけど
もう4,5年前の話になるんですけど、わたし当時26,27で学生時代からお付き合いしている人がいて、就職のタイミングでわたしは日本列島でいうと関東に就職して、彼は中部に就職して遠距離恋愛をしてました。距離にもマケズ、たまにケンカはすれど仲は良好だったので距離は致命的な問題じゃなかったです。

遠距離で1年が経過した頃、諸事情あって彼が会社を辞めて、関東に拠点を移したいとの意向で(まぁ二人の将来も考えて)転職活動をする間、わたしの家に居候という名の同棲的なサムシングがはじまりました。が、しかし待てども待てども転職活動が始まらない。ええ、半年ほど始まらなかったですね。

おい、お前何してたんだと。

なんかマネジメントできんかったんかいと思うかもしれないのですが、
(そもそも指摘そこじゃない?)
当時、私むちゃくちゃ激務で平日は出張に行き、金曜に最終便に乗って終電間際に帰宅して、休みは関東で過ごして月曜にはまた出張に出ていく…という生活をしていて、まぁ、そんな他人に構う物理的な時間も精神的な余裕もなかった生活でして。

まぁ、もっと正直に言えば精神的な余裕がないというか、構う必要があるという認識さえなかった。
(なぜなら、自分が人に指図されるのが嫌いだから、人にもそんなこと面倒くさいからしたくない)

彼と自分は違う人間で、私とは違うやり方でなんとかやるんだろうな、っていうのを興味深く見守ろうと思っていて
(自分と違うサバイブ方法が見たいな~っていう興味関心)
だから、私は私のことを頑張る!そっちもそれでよろしく!ってな心づもりで、そもそも構う気もなかったし自分のことは自分で頑張れよって思って静観していたら、はじまらない、はじまらない…えぇ?やらないの?ってびっくり。

そのスケジュール感に関して、正直…はぁ?って思っていたけれど、波風たてたり、関係性が悪くなるのが嫌で…勇気がなくてちゃんと話し合うことができなかった。

今ならきっと
居を同じくするタイミングで転職に関するスケジュール感に関して話し合って、お互いの合意を取っていただろうし、二人の生活とか今後とか、どうしていくかって事に関しても、素直に思ってることを話し合って、妥協点を探せたと思うし、そういう機会と時間を重ねることで、信頼を深めあえるキッカケにもできたと思う…

けど当時はどう考えても無理だった…無理だったよ…まぁそんなことは今回の話の本質でなくて、当時のわたしは、どうにか会社での居場所やキャリアを構築するために仕事に邁進している中で、人ん家転がり込んできて、ゲームしたり遊んだり休んでる彼に対してそれでよく平気だなと感じたし、彼がずっとこんな感じだったら、どれだけ私が頑張っても、足を引っ張られ続けるかもしれない。
そんな彼と一緒にいたら貧しくなってしまうという恐怖にかられたんですね。

わたしは、貧しさというものが大変怖くて。

なぜなら、父親が金銭的に計画性がないってのが原因で、家庭も壊れたし、その皺寄せで物心ついたころから貧乏の辛酸をなめてきた中で、人って貧しいと、どれだけ余裕がなくなるのか、日常のムードが沈むのか、陰鬱とするのか…嫌ほど味わって育ってきたので、そんな世界とは決別したかった。

そういう想いのもと行動して勝ち取った現在の生活基板を壊されたり、水準を下げられることが怖かったし、嫌だった。
これからどんどん、よくなるって未来しか見たくなかったし、自分がほしくてしょうがなくて手に入れたものに泥を塗られるのは耐えられなかった。

いま振り返れば、完全に自分のことしか考えてない!笑
自分のことでいっぱいいっぱい!
人生の最小単位が1で2じゃなかった!

彼のことは大好きだったし、相性もとてもよかったと思う。
今なら、そんな人だな~って、しょうがない部分もあるなって受け入れて、お互いの妥協点を話し合って、ハッピーになる選択もできたかもしれない。
当時の私は正しかったし、誰から見ても頑張ってて偉かったかもしれない。

でも、それはわたしの都合でわたしのやりたいことで…彼の都合や事情とは関係なかった。

私は過去のトラウマや劣等感の反動で理想を求めすぎて、そこに収まらないとダメだと思い込んでいたし、それが正しいしなにもおかしくないと思ってた。
(っていうか、ダメな一例は知ってるけど、良好なパートナシップがどういうもんか知らないし見たこともないし、わかんなくて当然なのよね…)

でも人間関係に自分の正しさや正義を持ち込んで、相手をちゃんと見ずに相手の意向を汲まずにいたら、それは当然その人は苦しくなる。

求めてる方も苦しくなる。
現に苦しくなったし、だから関係も終わった。

アドラーさんも言ってます。

人生におけるあらゆる失敗の原因は、自分のことしか考えていないことにある。
…はい、セオリー通り失敗しました。笑

以上が、私の自分の理想の型に相手や自分を押し込めようとして自爆したって話です。
当時の私はそういう彼を受け入れて二人で生きるってことを露ほども選択肢に入れてなかったし(っていうか、存在してなかったね…そのパターンね…)
どんな人も完璧ではないし、いい部分も悪い部分も受け入れてやっていくという器も覚悟もなかったし
準備も整ってなかった。
(まず、自分のケアが必要だったね)

自分が思い描く青写真の通りに、型におさめて幸せってことにしようって思い込んでた。
二人で生きていくためには、自分にも自分の都合や考え・嗜好があるように、相手にも自分と同じように相手の都合や考え・嗜好があることを踏まえて、お互いが快適に楽しく生きていける形を二人で作っていかなきゃいけない。

はじめから答えが決まってる箱に押し込むことじゃない。

で、まぁつい最近までその認識って改めることができなくて、サターンリターンでぼっこぼこにやられて、そういうことに気づいて認識を改めることができて、やっとスタートラインに立てたのかなぁという感じです。

当時は自分の問題でいっぱいいっぱいだった。
自分のこともわかってなかったし、受け入れられてなかった。

そんな状態で他人のことも受け入れられるはずがないです。
20代は私にとってとても苦しくて暗黒のような時代でした。
めいっぱいジタバタして、失敗して痛い目みて…
だから今の自分があるし、今は自分のことが完璧じゃないけど大好きだし、まぁまぁ受け入れられているし悪くないかなって感じです。

自分の至らない点も受け入れて、まぁまぁうまく付き合っていく中で、他者ともこんな感じで、ゆるっとやってけばいいのかなぁと思えてきて、やっと自分が本当に望んでいるパートナシップを築くだけの度量ができたのかなぁと。
だからいま、嫁プロ!なんですよね。

なんか、長くなったので②と③は次回にします