心理占星術でつながろう! ご当地紹介リレー VOL.7 京都府船井郡京丹波町編

my local town

第6回 京都府船井郡京丹波町

うか子さん

ご当地紹介に旋風を起こしたい

第7回は、京都市内ではなく「京都府」のど真ん中という京丹波町。「地元」大好きなうか子さんが、特産品や観光名所ではない、ひと味違ったご当地紹介にチャレンジ! 郷土愛全開、前編&後編でお届けします。

合併前のキャッチコピーは“京都府のどまんなか”
都(みやこ)からも海からも、同じくらい離れている

京都駅の奥まったところにある嵯峨野山陰線のホーム。そこから列車にのって、嵐山を過ぎ保津峡を過ぎ、必要があれば園部駅で乗り換えをして。そうこうするうちに川の流れは北をむいている。京都駅を出てからきっと1時間半ほど(京都で運よく福知山行き快速に乗車できれば1時間10分とちょっと)が経過した頃、列車は深々と山並みをえぐり縫う渓谷へと入る。

碁盤の目の京の都までと、日本海に沿う舞鶴までが、どちらもだいたい70キロメートル。由良川とその支流である上和知川に沿った狭隘な谷間、そこから伸びる河岸段丘に集落が並ぶ町。そこが、私が紹介したい場所、京都府船井郡京丹波町の旧和知町域(以下、「和知」と記す)だ。

「地元」という概念が好きなので、ご当地紹介リレーの投稿を毎回楽しく拝見していた。だから、書いてみないかと声をかけていただいて、否やはなかった。

以前、受講した時期読みパーフェクトマスター講座(2017~2018年)の季節図読みの課題で「中山間地域に向けて、今年の展望」を読もうとするなど、私のなかで心理占星術の学びはいつも和知と結びついていたように思う。大げさだが、魂というものがあるとして、それがどこか一つの土地に根をおろすものなのだとすれば、私の魂は和知にあるだろう。

「お国自慢」したい気持ちとは裏腹に…

さて、内容を考えながら、郷土愛につきものの「お国自慢」もいいだろうと思ったが、これが私には難しかった。ぱっと挙げられる特産──地域ブランドを冠した言い方をするなら、和知黒(丹波の黒大豆)、和知栗(丹波栗)、和知川の鮎である。

でも、黒豆といえば、多くの人は丹波篠山という言葉を頭に浮かべるだろうことを前提として「篠山ではない」という書き方になる。それは比較広告のようで、書くにも読むにも楽しいものにはなりそうにない。

栗は「西の木」と書く漢字のとおり、西日をうけて味よく仕上がるわけだが、谷である和知には西日に対して日向にも日背になる場所もある。日背の土地の事情を切り捨てて「和知の栗は素晴らしい」と語るのは私の趣味ではない。

鮎については、コンクリートダムや過去の水害の話も含めて語るなら、かなり私好みだが、現状、蔓延っているPRには懐疑的だ。「北大路魯山人が著作『鮎の名所』で丹波の和知川の鮎が一番と言った」、「(その彼をモデルにした)『美味しんぼ』の海原雄山に誉められた」など、それらは和知ダム竣工の遥か前の話であり、あまり触れたいと思えない。

……こうして怒涛のようにダメ出しを並べてしまうのは、私のネイタルチャートにある「風サインでできた水のハウスにも表れているのではないか」と思っている。ナチュラルハウスで水サインが該当する4-8-12ハウスのカスプが風サイン。さらに言えば太陽以外の四つの個人天体は、その三つのハウスのどこかに入っているせいか、水の現場を水だけでや
り過ごすのでは物足りない。風を起こさなければ面白くないのだ。偶数の世界に、素数を投げ込みたいのだ。

どの特産品のことも好きだし愛をもって紹介したい、お国自慢したい、という気持ちは間違いなくある。でも例外にあたるもの──丹波の黒豆だけど丹波篠山の黒豆ではないという説明、日背の栗、かつて鮎にふさわしい急流と絶賛された川にできた流域の生活を守るコンクリートダム──を無視して、ただ肯定的に語ることはどうしてもできない。

暗部に光を当てられなくて、なにが蠍座の太陽だ。
都合のよしあしなど踏まえずに事実を明示できなくて、なにが水瓶座の火星だ。

これまでに書かれたご当地紹介を矯めつ眇めつして、トピックを区切って書く方法を試してもみたが、これはさらにとんでもなく難しかった。あれもこれも書きたい。知ってほしい。永久にトピックを増やし続けたい。

だって、和知のことはほとんどの人が知らないのだ。

都の人はたぶん「碁盤の目の外には魑魅魍魎が跋扈していて、鬼門の先にある老いの坂峠を越えると日本海が広がっていて、酒呑童子始め鬼の住まう大江山もそのへんにあるもの」くらいに思っているのだ。

亀岡以北の地理に興味のある人など、たぶん都にはいないのだ。

……こうして際限なく思いが湧いてくるのは水サインでできた水星木星の120度に表れているだろうか。誤解されたくなくて注釈がどんどん増えるのは、水星が逆行しているからだろうか。

と、ここまでを長い前置きとして。

ここから、とある一日の日記のかたちで、和知の紹介を書いてみようと思う。
日記を書きながら、芋づる式に和知についてのトピックに触れていこうという作戦だ。

月が双子座にあるからか、ロードムービーやロードムービーのように展開するストーリーが好きだし、そういった手法をまねて文章を書くことも好きなのである。いま「ロードムービー? 任侠映画じゃなくて?」という幻聴を感知したけれど、私のなかでは渡世人もロードムービーの括りに入っている。おひかえなすって。

荘園として仁和寺に支配されていた、それ、実は世界遺産では?!

2024年10月6日、私は由良川沿いの国道27号線を川上へむけて車を走らせていた。町境の看板が、私の生家のある町・和知へ入ったことを知らせる。

和知は、平安時代には和知荘という仁和寺の荘園であり、鎌倉時代に仁和寺と地頭が分け合って和知上荘・和知下荘となり、明治時代の町村制の施行によりそれぞれ上和知村・下和知村となった、という歴史を持つ土地だ。その後は昭和の大合併で和知町となり、平成の大合併で丹波町・瑞穂町と合併して現在の京丹波町となっている。

京都縦貫道の和知インター(京丹波わちIC)前の信号を通過し、和知第一大橋の手前で旧国道へ入る。夏が終わらないまま10月がやってきたような今年でも、開き始めたススキの穂が宙を舞っていた。季節は進み、渓谷の空気は乾き始めている。

車道からはほぼ見えないものの、道の左手に聳える山へと伸びる段丘には広瀬という父方の祖母の生家のあった集落がある。和知の大字(おおあざ)はほとんど中世の郷村と一致しており、広瀬もまたかつての広瀬村だ。

この旧国道はドライブ用の道路地図で「交通量少ない山沿いの快走路」と記されるなど、いまでこそ車はもちろんバイクやロードバイクを走らせることを趣味とする人から好まれる道だが、現在の国道27号線が通るまで──当然、京都縦貫道が通るよりも前のことだ──は「悪天候で犬戻りを抜けられない」ということがよくあったという。「犬戻り」というのは、この旧道のうちの、特に川の流れの影響を受けやすい300メートルほどの区間につけられた地名だ。日本各地にある地名で「犬でも怯えて引き返す難所」が由来とされていることが多いようだ。

犬も怯えて引き返す難所、「犬戻り」伝説

ここで一つ、「犬戻り」についての昔話を紹介したい。

地元の言葉──和知弁と呼ばれる方言は、祖父が自分史に書き残した説明を借りると『他の丹波地域とも、府内の丹後地域及び福井県や兵庫県の周辺地域とも異なった、一般的に悪い言葉である』となる──で書くので読みづらい部分もあるだろう。また、もともとの和知弁にはザ行とダ行の別がないものの、それらを混同した書き文字は可読性を著しく損ねるため、ザ行とダ行は通常通り区別して書くこととする。

昔話・広瀬村の犬戻り

昔々のさる昔。広瀬の川べりにとっしょりの座頭はんが住んどっちゃったんやって。

嫁はんが死んでしもてから、えろう辛苦しとっちゃったもんやで、村の人らァがなァ「隣村に四十の後家はんがおんじェえ。嫁はんにもろてやないこォ」言うてなァ。後家はんのほうは、行ってもよい言うとっちゃったんじゃけェど、座頭はんはなァ「気にかけてもろて気の毒なけェど、あっこの善九郎ちゅう子ォは博打打ちやないんこ。わしにちょっとなと貯めとる金があるてわかったらなにするやしれんうェえ。そんなんは、かなへんかなへん」ちゅうて、なかなか承知せなんだ。そうは言うても四十の姥桜を嫁にもらいたいっちゅう気ィはあったでなァ、村のもんにせんぐりどうやどうや言われるうちに嫌々や言いもっても家に入れたんやて。

ほんで、思もた通りに善九郎は懐がさぶうなるたんびに座頭はんの家に来る。始めのうちはおふくろのほうに頼んどったけェど、そんうちに座頭はんにせびっては、座頭はんが按摩代から貯めとってや銭をもろていくようんなった。そやけェど善九郎が狙ろとったんは座頭はんが胴巻きのなかにしもとってや小判やったんじェえ。そいつをどうなとして座頭はんに出させちゃろ思もて、善九郎もしつこう来て来てしとったんや。

ほいで秋になって、二日も雨がやまんと和知川の水がだいぶ増えとった夕方になァ、酒によう酔うた善九郎がまた来たもんやで、「おまえ善九郎なにしィに来とんじゃ。シロに食わす飯はあるけェど、おまえに食わしちゃる飯は一粒もないど」と座頭はんに怒鳴りつけられた。シロっちゅうんは座頭はんが十年近こォ子ォとも孫とも思もて可愛がって飼ォとる大事の犬じゃ。犬にも劣るちゅうて罵られても、善九郎は言い返しも仕返しもせなんだ。都合があったでなァ。

その時分、広瀬村から二里ほどの山家(やまが)の町の寺で五日間の法要があって、近郷近在から博徒の親分が寄って大賭場が開かれとったんや。善九郎も金をどうなと工面して早よォから出かけとった。それが、そのうちよい目ェが出ェへんようんなって、借金が二十両近こォもなっとったんじゃ。今晩の夜中まで待ってくれ言うて、指一本切って渡して座頭はんの胴巻きのなかを狙ろて来たちゅうこっちゃ。

胴巻きのなかには百両はあるやろと善九郎はあてにしとった。そのうちの二十両、可愛い女房の子ォが指一本切ってこないな約束してきとるちゅうたら、出してくれへんことはないやろ──と思とったのに、男泣きに泣いて縋りついても相手にされへん。

そこに、隣の才原村(さいばらむら)の百姓から「嫁が持病の癪で苦しんどるで、すぐ来とォくれやす」と使いがあった。夜やったし、雨はやまんし、広瀬と才原のあいだには難所もあるし、いっつもやったら断るんやけェど、これで善九郎の相手をせんで済む、これ幸いと承知して、愛犬のシロを連れて使いの者と一緒に才原へむかったんやげな。

才原で按摩を済まして、あんまり遅ォならんうちに、水の出ェへんうちに帰ろ思もとったら、庭に寝そべっとったシロがけたたましゅう吠えだした。ほいたら、表の戸を叩いて、善九郎が顔を出した。「わしがおふくろに心配させたもんやで、きつい癪気を起こして、力で押さえてひとまず治まらせとんやけェど、早よォ呼んできてくれェちゅうんで迎えに来たんじェえ」と言われて、座頭はんは可愛い女房の癪気と聞いて、あたふたしもって表に出よった。それを、シロが行かしてたまるか、っちゅうように着物の裾を咥えた。座頭はんがシロを振り切って表に出たで、善九郎も提灯を持ってそのあとを追った。

和知川の水嵩が増して、座頭はんの杖もきかへんようになってしもた。その時、あとからついてきとった善九郎が座頭はんの横腹を短刀で突いたんじゃ。シロが唸りながら善九郎の片足に咬みついたんやけェど、それを善九郎は和知川の激流に蹴り込んだ。善九郎は座頭はんを滅多刺しに突き殺して、目的の胴巻きを取ってしもて、その死骸も大水の和知川に蹴り込んだ。シロに咬まれた足を手ぬぐいで括って、足を引きずって逃げてしもたんやげな。

明くる日、シロは流されたけェど溺れもせんと、座頭はんが殺されたところまで走って帰ってきとった。水が引いて一滴の血ィのあとも見えへん。シロはそのへんを嗅ぎまわった。のまず食わずで座頭はんを探し回っては元のところへ取って返すっちゅうことをなんべんも繰り返しとったけェど、とうとう身動きもならんようになってその場で死んでしもた。

大水の晩から座頭はんの姿が見えへんようになっとったさかい、川に落ちてしもたんやろうと村の人は噂しとったけェど、山家でシロに咬まれたあとの養生をしとった善九郎は、熱に浮かされて座頭はんを殺したことを言うてしもた。それで山家藩に召し捕られて、園部藩に引き渡されて、縛り首になったっちゅうこっちゃ。

村の人らァは、座頭はんの殺された場所へ戻り戻りして、ついに倒れ死んだシロの骸を山手の岩の下へ埋けちゃった。そんでから、ここのところは「犬戻り」と呼ばれるようになったっちゅう話や。ほんでも座頭はんの死体はどこまで流れてしもたもんやら、どうにも見つからへなんだんやって。

和知町文化財保護委員会編『和知の文化財3 和知の道=むかし物語=』より

この昔話の影響があるかどうかはわからないが、幼稚園の年長だった頃、広瀬の川に落ちて死ぬ夢を見たことがある。

葬式の呼び遣いを仰せつかり、祖父がいつも着ているでんち(殿中羽織の略と思われるチョッキやベストとほぼ同じ形状のものを指す地元の言葉。)を着て、祖父の軽トラを運転し、遣いを済ませた帰り道。道の真ん中にいた白い蛇に急ハンドルを切ったら、そのまま川に落ちて、葬式の呼び遣いをしていたのは自分だったはずなのに、自分の葬式を宙から眺めていた…

この夢を見て目覚めた日、幼稚園のお弁当の時間に、同じ組の子たちが事務の先生を囲んで「見たことのある夢の話」で盛り上がっていた。強烈に怖い夢を口にすることが憚られ、その場で語ることがどうしてもできなかったという重い感覚ごと、いまも記憶している。

ようやく人に話すことができたのは、ほんの先一昨年の2021年8月13日。
家に来てもらう予定だった友人との約束が、「大雨でキャンセルとなった」と家人に伝えた時。「電車が止まってても、車で迎えに行ってあげたら?」と言われたが、「迎えのためにどうしても通ることになる道は、昔、車ごと川に落ちて死ぬ夢を見てすごく怖かったので、悪天候のなか行くなんてとてもできない」と返したのが最初だ。

この夢のインパクトは、私のなかでかなり強く、小学生の頃、この夢への恐怖を引きずりながら初めて買った占いの本が、秋月さやかさんの『細密夢占い事典』だった。こ
の夢はこういう意味だということだけでなく、夢についてのコラムが充実していて、この本の読書体験は、夢というものへの興味とともに、「占いはロジックであり、歴史あるもの」という捉え方の素地も育んでくれたと感じている。 (後編へ続く)

参考資料
文中にある昔話は、私が幼い頃に大人から聞いた断片的な昔話について、資料を頼みに筋や詳細を補い、和知弁に直したものです。

・和知町文化財保護委員会編『和知の文化財3 和知の道=むかし物語=』掲載の【1910年1月に朝日新聞(京都付録)に連載された「和知の犬戻り」の概要】

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