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9つの交響曲、「大地の歌」。そして多くの歌曲を残したことで知られるマーラーは、1900年代に活躍した後期ロマン派の作曲家であり指揮者です。

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マーラーの作品には、自分のルーツに触れるかのようなもの懐かしさがあり、
生まれ出るあらゆる感情をそれぞれの楽器が咆哮するかのように大胆に音を鳴らし、聴衆をひきつけます。

また交響曲の中にはドイツやユダヤの民謡が組み込まれ、多国籍的にも無国籍的にも感じられ、
そしてそこには純粋な感情が瑞々しくそのまま刻み込まれているのです。
その音楽は統一され、共通性を持っているとはいいがたいのですが、マーラーの完成された私的な世界という括りでしっかりと結びつけられているのです。

この独自の世界観はいったいどのような人生の中で育まれていったのでしょうか?

ではマーラーのチャートを追ってみます。

太陽が蟹座であるマーラー。
その支配星である月は魚座に位置し、太陽とトラインのアスペクトを形成しています。

月と蟹座。

自分と同じである、と感じるものに結びつき、そこで安心感を得て自分の居場所を作っていこうとするのが月と蟹座の欲求です。

自分がここにいていいのだと思える確かな居場所。
このテーマはマーラーの人生において、何よりも重要だったのではないでしょうか。

マーラーはこんな言葉を残しています。
「私は三重の意味で故郷がない人間だ。オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、そして全世界の国民の間ではユダヤ人として」

マーラーの生後3ヶ月後、オーストリア・ハンガリー帝国のユダヤ人居住区域についての法律が改正され、それにより一家はカリシュトからの退去を命じられ、モラヴィア地方の商業中心地イーグラウに移住することとなりました。
当時この区域のユダヤ人は、職業や居住区域、結婚に関することまで厳しく制限される被差別民族であり、このことはマーラーの根底に強く残り続けました。

どこにいってもよそ者であり、自分の居場所はここではない。
マーラーの月は冥王星、天王星ともアスペクトをとり、幼いころから安心できる場を探すことが困難だった様子が伺えます。しかしそれが、後々音楽表現の中で、自分の奥深くの感情や、時代の感情を表す力となっていったようにも思えます。
あのどこでもない、国籍不明の郷愁を帯びた音楽はこの感覚によって形作られたのでしょう。
マーラーの音楽には、起伏の激しい感情が混在し、予想できない曲調の移り変わりがありますが、それはこの月のアスペクトを思わせます。

そしてマーラーの交響曲にはいくつもの葬送行進曲が登場し、それはマーラー自身、小さいころから死が身近にあり、常に死の恐怖があったためといわれています。
それは蟹座の太陽、魚座の月を地上で安定させるため、真逆の大地の性質が、限りある肉体、いつか果てる命として意識されたのかもしれません。
そしてそれが時代の声や、思い、恐怖を感じ取り、代弁するように音を作り上げていく力となっていったようにも思えます。

また交響曲の中に、生活の道具であるカウベル、鞭、ハンマーなどを登場させたマーラー。
感情と日々の暮らしという月や蟹座の示すテーマは、音の編成にもあらわれています。
さらに作曲に関しては自然の豊かな土地に3つの作曲小屋を作り、そこで製作に専念したといわれています。守られた自分だけの居場所。蟹の頑丈な甲羅のような、安全な居場所を求めたのです。
こんなところも蟹座、月らしいエピソードです。
感情が高まっていく様子が水のように流れる音楽は、マーラーの完成された守るべき世界。
根無し草だからこそ、自分の安住できる世界を作り上げようと、力を尽くしたマーラー。

今いる場所が、本当の居場所ではない気がする。
そんな時は、マーラーの世界に浸ってみるのもいいかもしれません。
きっと心のよりどころを思い出させてくれるように思うのです。
交響曲第5番4楽章アダージェット
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グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)

1860年7月7日 オーストラリア帝国ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュトでユダヤ人の両親の第2子として生まれる。幼いころから音楽の才能を示し、ピアノを学ぶ。1869年イーグラウのギムナジウムに入学し、ウィーン音楽院を卒業後ピアノの家庭教師などをしながら作曲を試みる。1880年から83年にかけ、指揮者として地方歌劇場、ハンブルク市立歌劇場の首席指揮者としても活躍する。この時期から作曲家としての活動も本格化する。1997年にはウィーン宮廷歌劇場、ウィーン・フィルハーモニーの各首席指揮者となり、ワーグナーとモーツァルトの作品を中心に大指揮者の地位を確立。1902年、若き作曲家アルマ・シントラーと出会い、翌年結婚。ベルター湖畔に作曲小屋をつくり、大作を次々製作。07年、反ユダヤ主義の勢力に攻撃されたマーラーは、愛する長女の夭折がきっかけで、ウィーン宮廷歌劇場を去り、ニューヨークに渡る。以後最晩年に至るまで、メトロポリタン歌劇場、ニューヨーク・フィルハーモニーの指揮者として活動。1911年ニューヨーク・フィルのコンサート後に倒れ、療養のためウィーンに戻るが、50歳で敗血症によりこの世を去る。

 

この記事を書いたひと

鈴木麻美
鈴木麻美
1982年東京生まれ。
小さい頃から目に見えない神秘的な事柄や、宇宙といったものに心を惹かれ、心理占星術を通して、人との繋がりについて観察する日々を過ごす。趣味は手を使ってのもの作り、オイリュトミー。
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1982年東京生まれ。 小さい頃から目に見えない神秘的な事柄や、宇宙といったものに心を惹かれ、心理占星術を通して、人との繋がりについて観察する日々を過ごす。趣味は手を使ってのもの作り、オイリュトミー。