2020 牡牛座の言葉 ラビンドラナート・タゴール

心理占星術家・nicoが選んだ今月の言葉は….



あなたは わたしを終わりのないものに おつくりになりました

それが あなたの喜びなのです

この こわれやすい器を あなたはいくたびも 空にしては

つねに あらたな生命で充たしてくれます

この小さな葦の笛を

あなたは 丘を越え 谷を越えて はこび

いつまでも 新しい歌を

吹きならします

あなたの 御手の不死の感触に

わたしの 小さなこころは

喜びのあまり 度を失い

言葉につくせぬ ことばを語ります

あなたのとめどない贈り物を

わたしは この小さな両の手にいただくほかはありません

幾歳月かが過ぎてゆき

それでもなお あなたは注ぐ手をやすめず

そこにはまだ 満たされぬゆとりがあるのです

 

— 詩集「ギタンジャリ」より

 

今月の言葉

ラビンドラナート・タゴール

1861年5月7日生まれ。

牡牛座に太陽、水星、金星、冥王星を持つ。インド・カルカッタ出身の詩人 、思想家、作曲家。1913年、詩集『ギタンジャリ』によってアジア人初となるノーベル文学賞を受賞した。インド国歌の作詞・作曲、及びバングラデシュ国歌の作詞者。タゴール国際大学の設立者でもある。

 

 牡羊座から始まった12サインをめぐる旅は、二番目のサイン・牡牛座へと歩みを進める。「私」という実感はまだ曖昧であるが、曖昧ゆえに、まだ大いなるもの、森羅万象との結びつきを断ち切らずに残している。

 タロットの二番目「女教皇」のカードを説明する際、コリントの信徒への手紙・第3章16節のパウロ「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちのうちに住んでいることを知らないのですか」という言葉を紹介している。

 「私」という存在は、「私」のものであるが「私」だけのものではない。大いなるものと結びつきを持ちながら、「私」が生かされ、「私」を通して大いなるものが世界を創造している。だから「私」の存在は贈り物(ギフト)であり、そういった意味で生きる理由、価値があるということだ。

 つまり、私たちは生まれながらに意味のある存在なのであり、その人生にも意味がある。人間に対し、大いなるもの=森羅万象が意味を与えてくれるのである。「私」を使用してくれるのであると。「私」は探すものではなく既にあるものなのだと。

 それが牡牛座を象徴するフレーズ「I have=私は持っている」となる。

 だから、本当であれば、御身を前にして、ただ「生かされて」みればいい。ただそれだけのはずなのだ。

 大いなるものが創造した世界――光や風や星の瞬き、そういったもので私たちはすでに満たされており、その導きを頼りに生き、進むべき道をたどれば、しかるべき場所にたどり着くはずなのだ。それが牡牛座=ガイヤ(母なる大地)との結びつきである。外にあるものは、私たちの内にもあるということだ。

 しかし、人は内ではなく外に自分を探し求め続ける。私が講座中、「牡牛座の受難時代」と言っているのは、つまりそういうことである。

 

 既にあるものを知らずに、一体、どこに何を求めれば満足できる答えが見つかるというのか? 

 

 アインシュタインはタゴールとの対談の際、「この地上に人間が一人もいなくても、宇宙というものは存在する」と言った。それに対してタゴールは、「人間がいなくて宇宙は存在するはずはない。なぜなら宇宙の存在を感じているのは人間なのだ」と言い返したという。「もしも人間がいなければ、この世界そのものは無に等しい。ブラフマン(宇宙の源、神聖な知性)が人間の心の中に宿ってこそ、この大宇宙のブラフマンというものが存在しうる」と。命を宿し、それを感じ、それを愛する人間というものがこの世の中に存在しなかったら、宇宙すら存在しないのだと。

 この考え「世界があって私がいる。私がいて世界がある」が、牡牛座期で実感するテーマである。

 

 牡牛座の占星術的表現の中には、「頑固」「自己中心的」「近視眼」といった言葉が並ぶ。しかし、これこそが、むしろ牡牛座の段階で身につける素養なのだ。なぜ他に意識を向ける必要があるのか? 私の中に“必要なもの”のすべてを兼ね備えているのに?

 

 詩集「ギタンジャリ」には、このような詩もある。

 

 あらゆる物の なかにかくれて

 あなたは種から芽を 蕾から花を

 花から果実を はぐくまれます

 私は疲れて 無為に眠り あらゆる仕事は 無駄になったと 思いました

 朝になって 目を覚ましてみると

 私の庭は 花の奇蹟で いっぱいでした

 

 今、私たちの前には、様々な困難が立ちふさがっている。様々な計画、様々な未来が立ち行かなくなり、「あらゆる仕事は無駄になった」と感じる人も少なくないだろう。けれど、本当にそうなのだろうか? その中か、何か新しい芽が芽生えていないだろうか。

 何もなくなったと感じたとき、自分の内に「ある」を実感することはできないだろうか?

 

 牡牛座期の間、ぜひ森羅万象、または内なる宇宙の中に「ある」を探してみてほしい。

 絶望するのは早すぎる。「何もない」と感じたとき、「つねに あらたな生命で充たしてくれる」その恩寵を感じてみてほしい。私たちは、すでにたくさんの贈り物を受け取っているのだし、まだ手には受け取るゆとりもある。

 あとは、“感じる”感受性さえあればいいのだ。

 

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