こんにちは。うさ子です。
まだまだ寒い日が続きますね。
体調崩していませんか?
体はまだまだ冬モードですから、ゆっくりと体を温めてお過ごしくださいね。
ところで、先日開催されたニコプラのイベント「はじまりのはじまり」に、私、うさ子も手作りアクセサリーの販売という形で参加させていただきました!
お名前しか存じあげなかったニコプラメンバーの方々にも直接お会いできたり、ワークショップの講師の方々の色んな才能に触れることができてたりして、とても感激でした!
当日の会場は、まさに、百花繚乱という雰囲気でした。
うさ子は前日深夜までバタバタしておりましたが、無事、手作り作品をお披露目することができてよかったです。手に取って見てくださった方々、ご購入してくださった方々、本当にありがとうございました!心よりお礼申し上げます。
今回、作品を制作するにあたりコンセプトに据えたのは、以下の言葉。
「どの子供も完璧な光で満たされたボウルをもって生まれる。その気になれば光はさらに輝きを増し、サメと泳いだり鳥と一緒に空を飛んだり、どんなことでも理解できるようになる。ただ、嫉妬や怒りをもつようになると、石ころをボウルに入れていくことになり、やがて光は消えていき、しまいにはその子は石ころになってしまうだろう。でも、もし石ころでいることが嫌になったら、いつでもボウルをひっくり返しさえすればまた光を輝かせることができる」
~モロカイ島の一族”光の番人”に残る言い伝えより~
そういうわけで、すべてに、光を感じられる作品にしたかったんですよね。
感じていただけたでしょうか?
さて、本題です。今回、水瓶座の季節にご紹介する本は、「たいせつなきみ」マックス・ルケード作です。
先の”光の番人”とも通じる作品です。
~あらすじ~
ウイミックスという木のこびとたちがいた。すべて、エリという彫刻家が彫ったのだ。
ウイミックスはみんな違った姿、形をしていた。ウイミックスは朝から晩まで同じことをしていた。金ぴかのお星さまシールと、はいいろのだめじるしシールをお互いくっつけあって暮らしていたのだ。きれいで、かわいいこびとたちはいつも金ぴかのお星さまをもらい、木がでこぼこしたり、絵の具がはがれていたら、だめじるしをつけられていた。
パンチネロもそんなだめじるしシールでいっぱいのこびとだった。体中みにくいだめじるしシールだらけ。おうちから出るのが嫌になった。「へまをしたら、また、だめじるしだ」そんなことが心配でたまらなくなった。そして、同じようにだめじるしをいっぱいつけたウイミックスたちといっしょにいるようになった。
そのほうがずっと気が楽だったから。
ところが、ある日、パンチネロはウイミックスらしくないウイミックスに出会った。お星さまもだめじるしもつけていない。木のまんまだった。名前をルシアといった。みんなルシアにシールをつけようとしたけど、つかなかったのだ。「ぼくもあんなふうになりたいなぁ」とパンチネロは思った。「もう、だれからもいいとか悪いとか言われたくないよ」どうすればいいかルシアに聞いてみた。「それならかんたん、毎日エリに会いにいくのよ」
パンチネロはエリに会いにいくことにした。「エリ、ぼく、いっしょうけんめいやったんだ」「ああ、なにもかもわかっているよ、ほかのウイミックスがなんと思おうとかまいはしないさ。みんながどう思うかなんて、たいしたことじゃないんだ。問題はこのわたしがどう思っているかということだよ。そして、私はおまえのことをとてもたいせつに思っている」パンチネロはうれしくて言葉もでなかった。
パンチネロはルシアのことを聞いてみた。「どうして、あの子にはシールがくっつかないんだろう」
「それは、私の思うことの方が、もっと大事だとあの子が決めたからなんだよ。みんながどう思うかなんてことよりもね」
別れ際、エリは言った。「忘れちゃいけないよ。この手でつくったから、おまえはたいせつなんだってことを。それから、わたしは失敗しないってこともね」パンチネロは心の中でこう思った。「ありゃ、ほんとうのことだぞ」そして、その時、ひとつのだめじるしが地面におちた。
心理占星術を学び、サインやハウスの解釈の中で腑に落ちたことがいくつかあるが、11ハウスの水瓶座もその一つである。承認欲求というものだ。他者に承認してもらえなければ、自分の価値を認められない、実感できないというのは、まさに11ハウス水瓶座に土星を持つ私そのものだと思った。そうかそうかそういうことだったのか……だめじるしを自分自身でつけていた。
なんだかとても、愛し愛されるという事に力が入り過ぎていたのだ。それに気が付いた時から、自分も他人も許せるようになった気がする。ありのままを愛するという事はこういうことなんだなと学べる人々、事柄にも出会えるようになった。
「たいせつなきみ」に描かれている、自分らしく生きることのたいせつさの強調は、とても水瓶座らしさを感じる点である。さらに、村全体を見おろせる丘のてっぺんに住み、ウイミックスを創造しているエリという彫刻家の存在自体が、水 瓶座の象徴のように思える。一つとして同じウイミックスはいないのだ。そして、みんなのことをたいせつなんだと言う。俯瞰した視点で、論理的にたいせつなきみの価値を説く。成熟した水瓶座の姿とは言えないだろうか。
「たいせつなきみ」のパンチネロはみんなの思いを代弁しているのだ。みんなのやっていることは変だと言い、勇気を出してエリに会いにいくことで、ありのままの自分でいいのだという事に気づいていく。
みんなと同じであることに安心していた時代から、他人との差異に気づき始めた時、それがいいこともあれば、不安や劣等感を感じることもあるだろう。そんな時、「たいせつなきみ」を読んであげたら、少しでもパンチネロのように勇気がでるかもしれないし、ありのままでいられる、安心できる場所になれるかもしれない。そんな大人になりたいと、うさ子は思う。
「たいせつなきみ」はシリーズ化されているんだけど、どれも、ありのままでいいんだよいうことを説いている作品だ。
最後に、
私たちは、完璧な光で満たされたボウルを持って生まれてきたのだ。
だいぶ石ころが混じってきたボウルを持ち続けているならこのあたりで空っぽにしてみよう。遅すぎることはない!
もう一度、空っぽになったボウルを完璧な光で満たしてみよう!