牡羊座では、右も左もわからない世界で生き延びることから12サインの旅をスタートしました。
生死の境目をすぐそばに感じながらのサバイバル経験を通り抜け、牡牛座に至るころには、何が危険で何が安全なのかを判断できる五感が備わってきます。
生き延びるうえで頼みになったことを振り返ってみると、自分が持つ資質や才能は何なのかも、見当が付いてくるかもしれません。
牡牛座では、五感が喜ぶ経験の蓄積によって感覚を磨き、自らに固有な資質に気づき育むことで、「自分のこの長所をもってすれば、ここでは十分にやっていける」という、自分の安全領域を確立することが目標となります。
存在をおびやかされることのない領域を確保した牡牛座の一番の強みは、地のエレメントと不動の性質があらわす通り、12サインで最も強固な自己肯定感を築けることだと私は考えています。
目の前の問題に対する答えが見えないとき、人々は外の世界をさまよい歩き、無いものねだりの答えを求めたり、誰でも見つけられる安易なものを解にして没個性的になったりすることもあります。
しかし牡牛座は、答えはいつも自分の内にあることをわかっています。
外の世界にエネルギーを奪われることがないので、牡牛座は個人が持つ深遠な内的世界を誰よりも味わい尽くし、それによって何人も真似することができない個性を打ち立てることができるのです。
今回はサルヴァドール・ダリの作品と人生を題材に、牡牛座が確立する自己肯定感と、唯一無二の表現世界ということについてお話してみたいと思います。
まずはダリの作品をいくつか見ていきましょう。
ダリといえばシュールレアリズムの代名詞といってもいい存在であり、オブジェクトがありえないような変容をしていたり、だまし絵の要素があったりして独創的な作風であることは一目瞭然です。
このヒゲを見たことがある方も多いとは思いますが、作品だけでなくその外見や行動も、一般的に言えばかなりエキセントリックなものでした。
しかし、ダリは最初からこのユニークな個性や表現世界を確立していたわけではありません。
10歳のころには「僕は印象派の画家だ」と言っていたこともありましたが、下のいくつかの作品のように、印象派風のものからセザンヌ風、点描法風、ピカソ風など、ありとあらゆる様式を模倣している時代がありました。
この模索の工程でダリは経験を蓄積し、感覚を磨き上げ、自分の安全範囲を確立します。
ひとつひとつのものから、彼は自分が必要としていたものを、ほんの束の間、摂取したに過ぎない―彼が他の作家たちの探求から適用したものはせいぜい数週間で消化しつくされたのだった。1926年から1927年の初めにかけて、まだじつに多様な影響がみとめられるにしても(中略)、1927年の夏以後1929年の春まで、作品はもうほとんど外部に負うところがない。
「ダリ」 ロベール・デシャルヌ(著)
そして、ダリが磨き上げた感覚と資質、それによる自己肯定感を見て取るうえで、印象的な作品が二種類あります。
このパン籠の両作品は、実は約20年のタイムラグを間に挟んで制作されたものですが、その両方ともがダリの画家人生にとってはクリティカルに大切な時期に描かれています。
一枚目は海外で展示された最初のダリ作品であり、二枚目のほうは1945年に亡命先のアメリカで終戦を見届けた彼が、
20年前と同じ主題を同じ手法で描くことで、自身の芸術の方向性を今いちど問いただした
「もっと知りたいサルバドール・ダリ(生涯と作品)」 村松和明(著)
ときのものです。
大切なタイミングで描かれたこの二枚から想像すると、ダリのよりどころとなった資質というのは、この超写実的ともいえる絵画技術だったのではないかと私は考えています。
ダリ自身も自らの絵画に関して、このような言葉を残しています。
「私の絵画は具体的非合理のイメージの潜在的で絶妙、奇抜で超審美的な手製のカラー写真である。」
主観的な態度を持つ牡牛座らしいコメントだと思いますが、はたから見れば非合理だろうとダリにとっては自分の内的イメージこそが現実であり、その現実を作品として表わすときによりどころとなったのが、磨かれた審美感覚であり圧倒的な描写力だったのではないでしょうか。
また、次のブロンズ像もとても興味深い作品であり、ヴィーナスの身体についている引き出しついては、ダリが自身の著書「わが秘められた生涯」のなかで、次のように語っています。
我々の引き出しのひとつひとつから漂ってくる、
おびただしい自己陶酔的な匂いを嗅ぎつけることを狙った一種のアレゴリー(比喩)だ
この言葉からは、ダリが自分の内なる資質をナルシスティックなほどに自覚していることがうかがえ、作品自体は「美しさを追求するということは、自分の内を探求することだ」と言っているようにも想像できます。
そして1929年には、のちにダリの妻となり、彼が「一卵双生児だ」と表現したガラとの出会いがありました。
ガラとの恋に落ちたのは、当時25歳でそれまでは「女性と深く交際したことはなかった」と後年語ったダリの目の前に、彼が幼少期から空想していた理想的な女性像がそこに現れたという、これもまた自己再発見的な出会いがきっかけでした。
美術史家のジル・ネレー氏は、著書「サルヴァドール・ダリ」のなかで、ガラがいかにダリの内的女性像を体現していたかについて、次のように書いています。
ガラはダリが子供時代にガルーシュカと名付けた女性像、思春期の作品に描いた少女や若い女性に象徴される理想の女性像を体現していた。その裸の背中を見れば、間違いようはなかった。彼女の体型は、彼が油絵やデッサンに描いた多くの女性のものと共通していた。
数々の画風を模倣した経験をもとに自分に固有な資質を自覚し、ひとりの男性としても自分の内なるミューズを現実に得ることで自己肯定感を確立したダリの作品は、それ以降、独創性が加速度的に高まっていきます。
そして、1931年、彼の最高傑作と名高い「記憶の固執」というタイトルのこの作品が生み出されます。
一度見たら忘れることのない、独特という言葉でも控えめに感じられる世界観。現代アートの作家であれば奇抜なものを描く人はいくらでもいますが、ダリのこの作品には、ただ奇をてらった話題作りなどではない、唯一無二のオリジナリティと芸術的な必然性が強く感じられます。
夢や無意識の世界を表現するために、多くのシュールレアリストたちが崇めるようにその理論を学んでいた精神分析学者のジークムンド・フロイトも、ダリと面会し彼の作品を見た翌日、こんなコメントを残しています。
シュールレアリストたちは、私を守護神にしていたようだが、ほとんど馬鹿だと思っていた。しかし才気に溢れ狂信的な目をしたスペイン人の若者は疑いなく巨匠の腕を持っている。評価を変えねばならない。
前出「もっと知りたいサルバドール・ダリ(生涯と作品)」 村松和明(著)
内的イメージを掘り下げ具現化する制作活動はこの作品以降もダリの最晩年まで続き、その手段は絵画から造形、舞台美術、ファッション、商業デザインなど多岐にわたり、各分野での成功ぶりは、かつての絵画仲間からは“Salvador Dali”の文字順を入れ替えて“Avida Dollars”(ドルの亡者)と揶揄されるほどのものでした。
また、1939年のニューヨーク万博では音や造形、絵画をミックスしたインスタレーション作品を発表し、1943年の絵画作品の中にすでにコカ・コーラのボトルが描かれているなど、ポップアートの旗手アンディ・ウォーホールも、ダリが現代アートやポップアートの原型をその流行から数十年先取って生み出していたことを認めています。
生涯にわたって自分の内的な資質を味わい尽くしたダリは、自身について、こんな言葉を残しています。
朝、目を覚ますたびに、私は至上の喜びを感じる。『サルヴァドール・ダリ』であるという喜びを。そして、このサルヴァドール・ダリが、今日はいったいどんな奇跡を起こすのだろうかと、驚嘆しつつ、私は自分に問うのである。
「ある天才の日記」 サルヴァドール・ダリ(著)
ホロスコープに象徴されるように、個人には多様で固有な資質が備わっています。
牡牛座は自らの感覚で味わう経験を通じ自分に固有な資質に気づき育むことで、最も強固な自己肯定感を持つことができます。
揺るぎない自信に支えられた牡牛座は、ここではないどこかへのあこがれを持つ必要も、自分ではない誰かのふりをする必要もありません。
むしろ、自分の外で起こる何事にもエネルギーを浪費せず、個人の内なる井戸の豊かさを味わい尽くすことで、その個性は唯一無二のものとなり、時代を大きく先取ることさえできてしまうのです。
ダリの作品と生き方からは、牡牛座に特有な成長プロセスと内的世界から生まれるオリジナリティ溢れる芸術性をありありと感じることができるのではないでしょうか。
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