子どものころ印象に残った童話とホロスコープ

子どものころ印象に残った童話は、その人の人生の脚本になっているという説を聞いたことがあります。

自分のホロスコープと照らし合わせると、案外それを象徴する箇所があったりします。
童話でなくても、マンガやアニメやライトノベルなどでも効いているのではないかと、息子たちを見ていてそう思います。

西半球DES付近に太陽のある長男は、学園ものや青春群像もの、
南半球MC付近に太陽のある次男は、努力して成功を勝ち取っていくストーリーを好みます。

私の場合は、ひとつは『マッチ売りの少女』。
もうひとつは『幸福の王子』。

マッチ売りの少女』の方はけっこう私のコンプレックスを象徴していて、
いまだに、良くも悪くも強く支配されている部分があることを痛感します。

— 寒い夜、貧しい少女が街角でマッチを売っているものの、誰も買ってくれず相手にもしてもらえない。寒い。
ふと、建物の窓の中を覗くと、そこには暖炉の火が燃えている暖かな部屋と、テーブルには御馳走。クリスマスツリーが飾られ、子どもたちがサンタに貰ったプレゼントに歓声を上げている。お父さんとお母さんが笑顔でいる暖かい光景…。
少女は寒さをしのげる場所を探し、持っているマッチを灯しながらわずかながらの暖をとる。寒い。寂しい。誰も助けてくれない。 —

たぶん挿絵の印象が強いのか、こうしたイメージが強く残り、
「マッチなんて売ってちゃダメだから、ちゃんと働いて、あの暖かなお部屋の中のほうの人にならなければ。」
なんてことを、幼心に強く思ったことを今でもよく覚えています。
もう、暖房のきいた部屋に暮らせるし、クリスマスの御馳走も並べられるし、クリスマスツリーも飾れるし、子どもたちにサンタのプレゼントをして喜ばせることもできるようになって、もう窓の中の人になれたのに、私の中にはまだ、窓の中を凍えながらお腹をすかせながら覗いているマッチ売りの少女がいることを実感します。
(占星術的には、北東半球の強調、両親問題、自己価値問題、2ハウス太陽と6ハウス土星、そして8ハウス、12ハウスなどに現れているかな。)

もうひとつは『幸福の王子』。

— 街を見下ろせる場所に立つ王子の銅像。体は金箔、目は宝石でしつらえてあります。王子は、貧しさや病気で困っている家庭を見つけては、ツバメに体の金箔をはがして持っていかせ、最後には宝石の眼をもっていかせて、ついに朽ち果て、ツバメも死んでしまう —

これは、私のホロスコープでは理想主義の現れで、職業選択に大いに影響していると思います。
(海王星(5ハウス支配星)が1ハウス、11ハウスに木星と天王星のアイランドなど)。

ホロスコープは自分らしい生き方をあらわすもので、活用できていない部分があると不全感が生じると、昔なにかで読んだことがあります。

どんなアスペクトでも、さまざまな階層レベルで活用できますから、がっかりする必要なんてありません。
「建物でいえば、暗く冷えた地下深くから、光を浴びる最上階まで、エレベーターで移動できる。」と、ノエルティル占星術の新里ひろき先生(2015年のセミナー)はおっしゃっていました。
できることなら最上階と言わず、宇宙エレベーターなんかでもっともっと高くまで行ってみたいものですが。

これを読んでいるかた。
こんどもし何かでお会いする機会があったら、
あなたの「印象に残っている童話」や「好きな物語」を聞かせてください。