心理占星術家・nicoが選んだ今月の言葉は….
東北の被災した人たちのところで、まだ傷口がひりひりしているような時期に、ぼくらは、よく食事をごちそうされた。なにも困ってないぼくらは、遠慮しなければと思って、ぐずぐずしていたら、きっぱりと言われた。
「わたしたちは、ごちそうしたいんです。遠くから来てくれた人に、あんまりできないけど、わたしたちのほうが、食べてってほしいんです」、と。
贈りものをされることも、うれしいかもしれないが、贈りものをすることも、人のしたい、うれしいことだ。
じぶんに、いま力がないと思ったときにも、だれかのために出す力は、ちょっと残っていたりする。そして、力って、使うほどついていくものだ。「だれかの力になりたい」というのは、本能に近いようなことなんじゃないかと思う。
「なんで働くの?」は、こどもが勉強する理由と同じかもしれない。「だれかの力になりたいと思ったときに、じぶんに力がなかったら、とても残念だろう?」
はたらくと、力がつく。力を使うと、力がつく。ついた力は、結果的に、じぶんたちをも助けてくれる。
今月の言葉
1948年11月10日生まれ。
天秤座に太陽を持つ。日本のコピーライター、エッセイスト。株式会社ほぼ日代表取締役社長。
1998年6月6日「ほぼ日刊イトイ新聞」開設。Tシャツや手帳といった物販に力を入れ、高い収益性を誇る国内有数のサイトへと成長。個人のウェブサイトとしては日本最大規模を誇る。著名人やクリエイターなどの連載、オリジナルグッズの販売などが主なコンテンツ。多数の有名人との対談も掲載。
6番目のサイン乙女座で個人の育成をしっかりと終えた後、個人がさらに社会化していくための最初の試練の場、天秤座へと歩みを進めていく。
個人が社会で生きていくためには自分自身の魅力や能力、様々なスキルやテクニックで武装して戦いの場に出ていく覚悟が必要になるわけだが、当然、そこで出会う他者も同じようにそれぞれの魅力を身につけ挑んでくる。
当然、必要以上の刺激を受けることになるわけだ。特に、天秤座の「場」に慣れていないうちは、周囲に圧倒されることを多々体験することになるだろう。
思い通りにならないこともある。
嫌な人とも付き合う。
どうでもよいお愛想もする。
できないと思っても「できます」と言う。
知ったかぶりもすれば、ごまかしもする。
でも顔はポーカーフェイスを保つ。
そうしてどんどん自分の中に疲労がたまっていく。
天秤座的活動というのは、なんと疲れるものだろう!
このまま引き下がって、また再び個人の領域に戻るか。踏みとどまって歩みを進め、蠍座の世界へと移行するか。ここで覚悟を決めることになる。
のるかそるか。生きるか死ぬか。
ここで、この場所で、この活動で、この人たちと生きる! そう決めたとき、自己の中のエゴが融解していく。
仕方ないのではないか? 人は一人では生きていけないのだから。だから、多少の我慢、多少の忖度、多少の欺瞞は必要なのではないか?
そうして心を抑圧し、社会の中でなんとか生き延びる術を、自分をごまかしながらも処世の技を身につけていくことになる。
でも、本当にそうなのか? それが蠍座の目標なのか? 人と共存するということは、自分の心をなだめすかし、なんとかやり過ごすということなのだろうか?
もちろんそうではない。
蠍座はその支配星に火星と冥王星を持つ。つまり、力を抑え込むのではなく、力の使い方を糸井重里の言う「だれかのために出す力」をうまく利用すること、「やらされている」のではなく「だれかの力になりたい」と本気で思うことだ。
そのためには、ひとまわり心の器を大きくすること。また「心持ち」を変えることだ。これが水エレメント2番目のサイン蠍座の役割である。
この世界は、他の誰かのものかもしれないが、同時に自分のものでもある。
誰かの人生、誰かのつくった会社、誰かのつくった社会であったとしても、それはどこかつながりのある自分のテリトリーでもあるかもしれない。だったら、うまく利用し自分のものとして働きかけていくことだ。
同じ釜の飯を食う。それは一つの侵略でもあるかもしれない。
相手の価値=手料理が境界線を越えて、自分の中に侵入してくる。それを「無理やり」ととるか、相手の世界との愛の交流と受け取るか。
または逆の立場もある。ただ施されるだけでは対等ではない(対等さは天秤座で学んだはずだ)。してもらうばかりではなく、してあげる「力」をつけなければ、相手とよりよい関係を結ぶことができないではないか?
あれがない、これがない、これがうまくいかないと嘆く前に、自分の「力」の貢献について考えてみたい。
私はどんな「力」を使えば人と共に生き、自分のために生き、結果的にみんなのために生きることができるのだろうか?