心理占星術家・nicoが選んだ今月の言葉は….
いいですか、旅をする前とあとでは人は変わる————前よりも博学になり、知識も増える。そうなると、私は私の仕事に欠かすことのできない大切なもの、多分純粋さを失うかもしれない。それにどっちみち、あのヨーロッパ帰りの間抜けな連中ときたら、やっていることの一体どこに深みとやらがでたというのかさっぱりわからない。私には前よりも薄っぺらになっているとしか思えない。
事実、私は、ある人間の芸術というものはその人の愛が達する深さと同じところまでしか行けないと思っているのです。
画集「アンドリュー・ワイエス展」インタビューより
今月の言葉
1917年7月12日生まれ。
アメリカ・ペンシルベニア州生まれ。20世紀アメリカン・リアリズムの代表的画家。蟹座に太陽、水星、冥王星を持つ。
今は、情報社会だと人は言う。占星術の業界でも、2020年末に200年に一度のグレート・ミューテーションが起こり、ここから風のエレメント――広く知識を持ち、広く人と知り合い、オープンなマインドを持っている人たちが心地よく暮らせる――の時代がやってくるなどと騒がれている。
そんな時代には、ワイエスのような芸術家は決して生まれないだろうと思う。インスタ映えなどまったくしない、日常のささやかな、ともすれば誰の目に留まることのない風景を永遠の物語のように描く芸術。
ワイエスは言う。
わたしの作品を身辺の風物を描いた描写主義だという人々がいる。わたしはそういう人々をその作品の描かれた場所へと案内することにしている。するとかれらはきまって失望する。かれらの想像していたような風景はどこにもないからだ。
では、その風景はどこにあるというのだろうか。もちろん、それは彼の心象の中にある。なんでもない平凡な部屋も、手垢に汚れた扉も、使いふるしたモップも、彼が見出した意味と共にあり、それ以上でもそれ以下でもない。
そこにどんな知ったかぶった知識やら、美しく見せるための加工が必要だというのだろう? 自分の心象以上に必要なものってあるのだろうか? 自分の外側に、自分のこころの中のイメージ以外のものを求めすぎるから、人は自分のことがわからなくなるのではないか?
4番目のサイン・蟹座=月は、おそらく、どのサインよりも社会から遠く離れている。ホロスコープの配置も社会を示すMCから一番遠い、円の底=ICに位置し、まさに岩陰でひっそり生息する蟹のように、自分が“純粋に”自分として存在できる場所にいる。
蟹座=月の段階では、できる限り外部のものを省く必要がある。人からの評価、見栄えも出来栄えも関係ない、新しいビジネス用語もいらないし、資格や肩書もいらない。どんなものであれ自分の心を惹きつけるものに同化しようという気持ち、情熱に支配されて生きることができなかったら、一体、心=月は誰のためにあるというのだろう。
しかし、多くの人は言う。「自分の気持ちがわからない」「自分の求めているものがわからない」と。自分の外にあるものに支配され、日常のささやかな感動はどこかに追いやられてしまうのだ。
ワイエスは、徹底して主観的な人間であった。興味を持ったテーマは何であれ、自己を対象に同化させようと夢中になり、また彼がかかわった対象は、何年間も彼の記憶の中に貯められていた。それが、彼の作品が誠実で深く、そして私的な「物語芸術」と呼ばれるゆえんであった。
今、情報は下から上、上から下へとひっきりなしに流れ続けている。誰が何を言ったか、どこに何が書いてあったか、一つ一つにとどまり続けていたら、あっという間に時代の流れに置いていかれそうになるほどである。
そんな時代の中で、私たちはどれだけ目の前の対象に深く愛することができているのだろうか。自分の外の出来事ではなく、自分の内の中で起こっていることを、どれだけ誠実に扱うことができているだろうか。
むしろ、このような時代だからこそ、太陽・蟹座生まれの将棋の藤井七段しかり、対象物に深くのめり込んだ人だけが、本当の意味での豊かさを体現できるのではないだろうか。
蟹座期は、大いに自分と対象物との私的で深い対話を味わいたい。どのような時代であっても、そこだけ、それだけは変わらない風景として自分の心を喜ばせたい。それでも、もし情報の中で迷子になりそうになったときは、ワイエスの絵に触れ、私の中の心象に戻ろうと思う。