魚座 の季節によせて ~ ミヒャエル・エンデ「オフェリアと影の一座」

こんにちは。

うさ子です。
風に春の香りを感じる季節ですね。
今日は雨…
この時期の天気は本当に移ろいやすい。
敏感な人はさぞかし心も揺れ動いてしまうんだろうなぁと思う、この頃です。

さて、今回は魚座期のお話ということで、少しばかりスピリチュアルな事柄にもふれてみたいかなと思っています。

うさ子はバレエを習っているのだけれど(大人になってからの趣味のバレエね)、そのレッスンの最後、音楽に合わせてクールダウンしているとき、うさ子は舞台の上から観客に向かってお辞儀をしている気分になった。「人生は舞台、主役は私だったのだ!」ふと、そんな思いが脳裏をかすめた。色んな人がいたなぁと思い、みんな色んな役割を演じてくれていたのね、私のために…と感極まる思いが溢れた!拍手喝采とあちこちから「ブラボー!」という歓声が飛び交う中、片手を胸に当て、片足を引いて深々とお辞儀するうさ子の前で、静々と幕が閉じた。

ランナーズハイのような状態だったのかもしれないが、体が限界を超えたようなとき、天から何かがお知らせしてくれるような気がすることはないだろうか?
うさ子はたまにある。大抵は何か創作活動をしていて、締め切りが迫っているような時だが、言葉やイメージが沸々を湧いてくるというか、侵入してくるのだ。

なんだろう…今、ここに現実には存在していないものが創作者や表現者を通し目に見えるものとして現れてきたとき、それはここにはなかったけれど、どこかにはあるんだろうなと思うのだ。同時進行している別次元の世界にとでも言おうか。

そんなうさ子が今回ご紹介する絵本は、ミヒャエル・エンデ作の「オフェリアと影の一座」になります。
あらすじは…

 

ある小さな古い町に、オフェリアという小さなおばあさんが住んでいました。芝居好きな親から大女優になることを期待されていましたが、残念ながら、声が小さすぎてなれませんでした。せめて、お芝居に関わる仕事をしていきたいと、舞台の真ん前にある、小さなボックスから、役者たちが途中でつかえないように、セリフを小声でささやく仕事につきました。やがて、時代は移り変わり、町の小さな劇場は閉じられることになりました。最後の公演が終わり、いつものボックスで思い出にふけっていると、いきなり誰かが話しかけてきました。影法師でした。「おやまあ、どなた?」と聞いてみると、自分でも誰だかわからないし、どこにいればいいかもわからない影だというのです。そこで、影法師はオフェリアさんの影になることになりました。二つあるのが見つかるとめんどうなので、オフェリアさん、昼間は片方の影を小さく折りたたみハンドバッグに入れて持ち歩きました。

だれのものでもない影を引き受けてくれる人として、影法師仲間の間でうわさになったオフェリアさんのもとには、持ち主のいない影がたくさんまいこんできました。そこで、オフェリアさんは自分のそらんじている名作のせりふを暗唱してみせ、影たちに口うつしに覚えさせてみました。さらに、「オフェリアと影の一座」という劇団を作り世界中をまわることになったのです。ある日、並外れて大きく、数層倍に暗い影が現れました。オフェリアさんは「あなたもいっしょにきません?」と、誘ってみたところ、影が告げた自分の名前は、「死って呼ばれているよ、それでも引き受ける気かい?」…長い沈黙の後、オフェリアさんは「どうぞ、いらっしゃい」と答えたのです。とたんに、あたりいちめん闇につつまれました。ところが、次の瞬間、にわかにぱっと目が開かれ、なんと天国のご門のまえに立っていたのです。大勢の華やかな衣装をまとった、輝くばかりの美しい人々がいて、オフェリアさんがたずねると、一同は答えました。「あなたに拾ってもらった影たちです」と。

 

それからは、「オフェリアと光の一座」として、天使たちのために、お芝居を上演しているそうです。人間として地上にあることがどんなにみじめで、どんなにすばらしく、どんなにせつなく、滑稽か、天使たちにわかりやすく教えているということです。

この作品の絵はフリードリヒ・へッヘルマンと言う人が描いているんだけど、とても幻想的で美しい。おばあさんと影が主役であるからか、薄暗いヴェールがかけられているような色調からは、誰のものでもない、どこにいればいいかもわからないおばあさんや影たちの不安定さや物悲しさがふんわりと伝わってる。

身寄りのないオフェリアさんというおばあさんが引き受けていく、行き場のない影との組み合わせ。はたから見れば、半分ボケたおばあさんの妄想にしか見えていないかもしれないが、影は光があたらないところには存在しないのだ。

魚座、海王星は自分と他人との境界線を曖昧にすると言われるが、古典のルーラーは木星だった。とことんポジティヴに信じることができてしまうのだ。
このオフェリアさんというおばあさんは、もしかしたら魚座生まれではないかと思う。ピュアでロマンチストで、永遠の少女のようだ。寂しがり屋で、いつも誰か自分を理解してくれる人と一緒にいたがる。
きっと、この影たちはオフェリアおばあさんが光をあてたから現れたんだろうね。

人がこの地上に生まれ出てやがて死を迎えこの地上から旅立っていく。
誰もが最初と最後に体験する世界。
12ハウス。
ギリシャ神話によると、魚座は愛と美の女神アフロディーテとその息子エロスが魚に変身した姿なのだそう。互いが離れないようにリボンで結ばれているという。
その姿は、母子の親子の絆を象徴するものと言われるということを知り、ルーラーが海王星というのも納得。

はじまりのはじまりのイベントで上映された「かみさまとのやくそく」でも、子どもは親をえらんでくるというのがありましたよね。胎内記憶というもの。

「みどりの船にのってきたんだよ」と言う子のお母さんの話を聞いたこともある。

もうすぐ、あの世に旅立つ人たちもうつらうつらしながら、どこか別の世界を行き来しているようなことをお話されたりする。

乙女座の季節に寄せた、「銀河鉄道の夜」にも書いたけれど、ファンタジーの世界を心に持つというのは、この世を生き抜くための引き出しを増やすことにもなると思うんだよね。

ファンタジーの世界では、人は何にでもなれる!

人生は舞台!

オフェリアさんの生涯は、華やかなスポットライトを浴びる表舞台の裏方に徹るという生き方でした。そういう意味では影たちに選ばれた人だったのでしょうね。

影に魂と人格を吹き込み、ファンタジーの世界で共に生きることを選んだオフェリアさん。このお話は、特に、人生の悲哀を経験した人の心に深い癒しをもたらすことだろう。

 

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