1800年代に活躍したロマン派のリストは「愛の夢第3番」、「ラ・カンパネラ」、「ハンガリー狂詩曲」などの多くのピアノ曲や他作曲家作品の編曲、宗教音楽を手掛けた圧倒的技巧を持つピアニストであり作曲家。初めてリサイタルを開いた演奏家でもあります。
リストの曲調は華々しく優雅であり、「マゼッパ」から感じられるように時に過激さもありますが、彼はどこまでも自由自在に音を操る「ピアノの魔術師」なのです。
その譜面は、一小節の中に信じられない程の音符の束が細かく刻まれています。
比類ない才能を持つリストのリサイタルは多くの女性の心を掴み、大変な人気があったとされています。
出典 http://www.hberlioz.com/Photos/BerliozPhotos7.html
さて、現存する肖像画も、音楽も洗練されているリスト。
ホロスコープ(ネイタルチャート)の天体を見てみましょう。
リストの太陽は、活動宮、風エレメント、陽のエネルギーを持つ天秤座。
乙女座で培った高い技術力を人々の前に出てお披露目するサインです。
風を自ら起こし、オーディエンスをその風に巻き込む力を持ち、自分の中に天秤の感覚を携え、愛と平和のもとに公平な視点で物事を見据えます。
「愛の夢」における人間愛――愛しうる限り愛しなさい
リストが描く愛の夢とは、一体どんなものなのでしょうか?
もともと「愛の夢」はドイツのフライリヒラートによる詩を用いた歌曲で、その愛とは恋愛ではなく、人間愛を意味します。
「愛しうるかぎり愛せよ
愛したいとおもうかぎり愛せよ」
なぜ彼はこの詩を選んだのでしょう。
すべての人間は平等であり、それぞれに価値があると考え、そしてその個人個人が持つ可能性や人間の中に存在する愛を、人と人とが理想的な世界を築き上げることができると考えていたからなのだと思います。
リストが自分の作品の、また演奏で多くの人々を魅了できたのは、きっと彼自身が自分の表現する美しさを知っていたからではないでしょうか。
そして自らの美しさを見つけられるということは、他者が持つ美しさも同じように発見することができるということです。
彼はすべての人の中に、美しさ、愛を見出すことができたからこそ、愛の夢という理想の世界を描いたのだと思います。
射手座の月と相まって、ピアニストとして多くの人々の前に自分を置き、類まれな技巧を披露する姿が目立ちますが、
何百人という生徒に対して無償でピアノを教えたり、多くのチャリティコンサートを開催したりと、慈善活動にも積極的でした。
愛しうる限り愛する、その言葉のように、彼は人生を歩んでいったのかもしれません。
「愛の夢第3番」
9歳で初の公開演奏会に出演。パリ音楽院に入学希望するも外国人ということから門前払いされるが、1824年にピアニストとしてデビューする。貴族のサロンに出入りし、ショパン、ベルリオーズなどと交流する。
21歳でマリー伯爵夫人と熱愛、スイスに赴く。この体験がのちに「巡礼の年」のインスピレーションとなる。3人の子どもが誕生。ヨーロッパ各地を演奏して廻る。夫人と別れ、ロシアのカロリーネ侯爵夫人と親しくなる。
30代半ばでピアニストを引退し、ワイマール宮廷学長となり、作曲活動を行う。交響詩を確立し「前奏曲」を発表。後年はカロリーヌとの結婚が破談となり、聖職者となる。指導にも力を入れるが、1886年バイロイトにて客死。