2022 双子座の言葉 森村泰昌 ┃自己の中に存在するかもしれない他者に出会う

心理占星術家nicoが選んだ今月の言葉は…

  私のスタートは、子供時代の「実験室」だった。そこに閉じこもり、ナマモノである自分の心とカラダを外界から隠して、人工的に処理された妄想の世界に住み続けた。外との接触が与える、脆弱な心身への痛みに対する防衛本能がそうさせたのであろう。

 しかし外界との接触なしに生きることは、どんな人間にもできない。私もやがてなんらかの形で「実験室」から出て行かなければならないのだった。その出て行き方が、私にとってはセルフポートレイトだったのではないかと思う。

 セルフポートレイト作品という手法は、自分流儀で外界と接触するために、私が編み出した芸術、というよりもむしろ「術」そのものだった。ナマモノの自分が全面的に登場し、身をさらさなければならないのがセルフポートレイト作品なのである。それを見せられたひとは、ちょっとたじろぐ。鑑賞者は見ることに徹することができるので、安全圏にいると思い込んでいる。ところが、自分がのぞき込もうとしている目の前の写真のなかから、ほかならぬ写真作品の作者自身がこちらを先に見つめていたりすると、いつもと要領が違ってしまって困るのだろう。たとえばそういう「肉を切らせて骨を切る」ような視線の関係を切り結ぶことを通じて、生身をさらす痛みを我慢する勇気を獲得してゆくことが、自分流儀という意味である。

森村泰昌 著「芸術家Mのできるまで」より

双子座の言葉

森村 泰昌

1951年6月11日大阪生まれ。太陽、水星、火星を双子座にもつ。

現代美術家。
1985年にゴッホの《包帯をしてパイプをくわえた自画像》(1889年)に扮する自身が扮したセルフポートレイト写真《肖像・ゴッホ》(1985年)を発表。1989年にはベニスビエンナーレ/アペルト88に選出され国際的にもデビューを果たし、その後も一貫して「自画像的作品」をテーマに、セルフポートレイトの手法で作品を作り続け、国内外で展覧会を開催している。著書も多数出版している。

 巷にあふれる星占いの本には、双子座について、まるで判で押したように「コミュニケーションのサイン」と書いてある。言葉が達者で頭脳明晰、そして非常に軽やかなサインであると。しかし、私は、そのような双子座にあまりお目にかかったことはない。

 ここでも何度も取り上げているが、そもそも太陽サインというのはもともと備わった性格ではなく、目指すべき理想像、後天的にコツコツと作り上げていくパーソナリティのようなものであるわけで、「口から先に生まれてきた」みたいに、最初からペラペラと饒舌に話せるわけではないのだ。

 だから、最初は外との接触が与える、脆弱な心身への痛みに対する防衛本能として、「ナマモノである自分の心とカラダを外界から隠す」のは不思議なことではないだろう。

 まだ自我と外界の境界線があいまいである牡羊座、牡牛座を経て、風エレメント・双子座ではじめて自分以外に他者が存在するのだということ、他者はときに非常に脅威となる存在であること、よって「外との接触が与える、脆弱な心身への痛み」に対し、備える必要があることがわかってくるのだ。

 それは、最初は兄弟姉妹の可能性もあるだろう。学校の友人でもあるかもしれない。でもおそらく、他者というのは自分の中にあるもの、自分もまだ知り得ていない自分の中の「他者」との出会いによって、自分の中の「他者」とのコミュニケーションによって、双子座は自分を発見し続けることになるのではないだろうか。

 だから、双子座は、自分とじっくり対話する時間が必要だし、そのために対話のためのツール――書くのか、旅するのか、楽器を弾くのか、またはセルフポートレイトを取るのかなど――が必要になる。

 最初はそのようにそれぞれの「理論武装」のようなものをしながら成長をしていくということだ。

 森村はこう続ける。

 はじめての本格的なセルフポートレイト作品である「肖像・ゴッホ」をつくったとき、わたしは粘土や釘でできた硬い鎧冑のようなボットの衣装をまとっていた。それはガンダムのモビルスーツのようでもあった。しかし、その後の私は、ガンダムの世界と似てはいるけれど、根本的に違う世界を歩みはじめた。私はモビルスーツをしだいに脱ぎ捨てる道を選択していった。セルフポートレイトの手法でさまざまな作品を作り続けていく過程とは、身をさらすことのトレーニングでもあったのだろう。

 モビルスーツが象徴する鎧冑と武器の世界は、通常「オトコ」の装束とされている。もしもそうだとすれば、私は「オトコ」をやめようとしたのかもしれない。実際、私はだんだん、昔ながらの「オンナ」として自分をセルフポートレイト作品に仕上げることが、圧倒的に多くなっていった。  

 子供のころ、自分でないものの存在を自分の中に感じたことはないだろうか。もしかしたら、ずっと自分ではないものを抱えている感じが、私達のどこかにあるのかもしれない。それならば、あえて自分の中に存在する私でないものの要素に触れることによって、新たな自分との出会いがあるのではないだろうか。

 男性だから男らしくふるまう、女性だから女性らしくふるまうといった固定観念にとらわれるのではなく、自己の中に存在するかもしれない他者に出会い、そして、その他者を身にまとってみない限り、自分の姿にすら気づかないのではないか? 

 森村は、上野千鶴子との対談の中でこんな話をしていた。

 女優っぽさというのは、実は女に化けることではないんです。むしろ、たった一人でそこにすくっと立って何かに立ち向かうということ。そこで一人で佇まなければならない。その一人の人間がそこに存在しなくなったら、その場は成り立たないような存在として、そこにあり続けなければならない。だから、女優さんってなんて男っぽいんだろうと思ったんです。女優をやることによって男を発見したのです。

 双子座を支配している天体は水星であるが、水星は昔から中性的な天体と言われている。つまり、水星を極めるということは両性具有的というか、男性は、繊細さや柔らかさといったより女性的な能力が引き出され、そして女性は、冷静で論理的、自立的な精神性が引き出されるのであろう。

 だからこそ、水星力=知性、教養、技術力というのは万人にとって魅力的なのかもしれない。

 双子座期は、ぜひ自分の中の他者と出会ってみてほしい。「私は〇〇な人間だ」でではなく、「私は〇〇であるかもしれない」という可能性を生きてみてほしい。意外性を楽しんでみること、ああ、私にはこんな一面もあったのかと、私でないものに触れてみてほしい。それが他者としての自分との出会いになるだろう。