2022 獅子座の言葉 トーベ・ヤンソン ┃ 暗さや痛みという未解決な心を「物語る力」

心理占星術家nicoが選んだ今月の言葉は…

 

 私がまだ若かった頃、スウェーデンの叔父の家に暮らしていました。夜になるとこっそりつまみ食いを繰り返していたのです。叔父さんはそんなことをしていると〈ムーミントロール〉が出てきて、首の後ろに息を吹きかけるぞと脅しました。なんでもムーミントロールはキッチンのタイルストーブの裏に暮らしているということでした。ムーミンの姿は、森の中にある切り株に覆いかぶさる雪が、まるで長い丸い鼻のようになっているところからきています。

 

ポエル・ウエスティン著「トーベ・ヤンセン――仕事、愛、ムーミン」より

 

獅子座の言葉

トーベ・ヤンソン

1914年8月9日フィンランド・ヘルシンキ生まれ。太陽を獅子座にもつ。

画家、小説家、ファンタジー作家、児童文学作家。創作領域は絵画、小説、コミックス、脚本、詩、作詞、広告など多岐にわたり、『ムーミン』シリーズの作者として世界的に有名となった。読者層は幅広く、「歳から90歳まで」とも表現される。フィンランドでは画家としての評価も高く、水彩画や油彩画、雑誌の風刺画や公共建築の壁画など多くの作品を残している。

Wikipediaより

 

 

 

 世の中に出回っている太陽サインの象徴解釈があまりにもお粗末なので、それぞれのサインを本気で生きた人たちを題材に、一度きちんと見直そうということからはじまった「今月の言葉」も今年で年が経過した。スタート時から比べると私自身の解釈も大きく変化し、またやればやるほど新しい発見もあり、象徴を理解するというのは終わりがない作業であることを痛感する。

 今月取り上げる獅子座などは、一般的に普及している意味があまりに固定されているため、私のような姿勢を持ってですら新しい意味を見出すこと自体を困難に感じてしまう。

 

 一般的な星占い的獅子座の解釈は、プライドが高く傷つきやすい、親分肌、姉御肌でさみしがり屋、派手好き、遊び好き、パーティー好き、自分大好きで四六時中自分のことばかり考えている、プレゼン上手、自己アピール力がある…こんなところだろうか。さすがにこのような獅子座に会ったことはないが、おそらくこれらの解釈は獅子座の支配星である太陽によるところが大きい。

 このような性格診断を並べ立てたところで、本気で太陽サインを生きている人たちを表す言葉になど、なりようがない。彼らは、性格を生きているのではない。自分自身を生きているのだ。だから、性格として太陽サインを考えること自体がお粗末ということになるわけだが、では今回のトーベ・ヤンソンを考えるにあたり、彼女にとっての獅子座とは一体何なのか、どのようなエネルギーが彼女を突き動かしているのか、今回はそういった視点で考えてみたいと思う。

 

 私は最近、本気で獅子座を生きている人たち、特にアーティストとして生きている人たちの活動の中に共通項を見ている。

 たとえばチェコの画家・ミュシャ、アメリカポップアートの旗手アンディ・ウォーホル、最近ではハリーポッターシリーズで有名なJK・ローリングだろうか、彼らに共通な点は、後世に続く価値、新しい文化をつくり出したことにあると考えられる。

 彼らの作品はポスターや装飾パネル、カレンダー、マグカップやらの商品として世界に行き渡り、その仕事もロックバンドのプロデュースや映画制作、コミックス、脚本、詩、作詞、広告と多岐に渡る。またスラヴ叙事詩、ハリーポッターシリーズ、ムーミンシリーズと壮大な物語を手掛けたりもしている。

 

 なぜ彼らの仕事はこれほどまでに広く世界に行き渡るのだろうか。そのエネルギーや魅力はどこからきているのだろうか。

 

 そのヒントが今回のトーベ・ヤンソンの言葉に示されていると考えられる。

 

 獅子座は5番目のサイン。水エレメント・蟹座の後に続くサインである。つまり、獅子座は蟹座的なものを手掛かり、足掛かりに思考し、理解し、創作する。つまり、幼少期の記憶、暗さや痛みといった未解決な心のテーマ、そういったものが獅子座の大きな原動力となっているということであり、また獅子座の人たちの生み出したものが多くの人たちを惹きつけるのも、誰の中にもあるであろう、この記憶や懐かしさに基づいていると考えられる。

 実際、トーベ・ヤンソンの日記には、初期のムーミントロールは喪失感や空虚感をまとった怖い生き物、子どもの頃の記憶から生まれた暗い存在であったと書かれている。

 そして、トーベにとってムーミントロールの物語は、世界大戦という辛い現実に対抗する方法そのものとなった。夢、沈んだ気分、希望、絶望、情熱などの行きどころの表現へと育っていった。このプロセスのことをトーベは「逃避」と呼んだ。

 

 ジャック・ザイプス著「おとぎ話が神話になるとき」にこのようなことが書かれている。

 

 私たちのもとへは、テレビやラジオ、新聞や雑誌、インターネットを通じて、物語がつぎつぎに押し寄せてくる。にもかかわらず、それらの物語には大切な何かが欠けている。最近まで文化になくてはならなかった本当のストーリーテリングという才能を、現代社会は失ってしまったのだ。知恵を分かち合い、生きある共同体意識をつくり上げるために、物語の力を発揮するという才能を。

 

 蟹座を経た後の獅子座的アプローチこそ、今、私たちに必要なのではないだろうか。パンデミックの恐怖、第三次世界大戦の予感、食料、エネルギー危機などに対する絶望、元首相の暗殺と、私たちの前にはあまりにも暗い出来事が横たわっている。

 実際、ムーミン物語の第一作目「ムーミン谷の彗星」では、自分たちのいる場所が消滅するかもしれないという脅威、それに伴う恐怖、人生の崩壊の予感が描かれていた。谷のみんなで洞窟の中で「からだをちぢめ、長いあいだ、だきあったまま」なんとかやりすごしたあと、ムーミンママはこういった。

 

 もうねましょうよ。あの彗星のことは、言ったり考えたりしないことにしましょう。それから、外がどうなったか、誰も見ちゃいけませんよ。それは、あしたでいいことだもの。

 

 赤裸々なニュースが嫌でも飛び込んでくるこの時代、どうしようもなく暗い気分のときは、自分たちの谷=蟹座・月に戻ればよかったはずなのだ。ただ、心のよりどころとなるイメージへと帰還すればいいはずなのに、私たちはいつから、それすらも手放してしまったのだろう。そういったストーリーテリングを忘れてしまったのだろう。

 

 2022年の獅子座期、私たちはもう一度、自分たちの物語を取り戻してみる必要があるのかもしれない。私たちそれぞれの中にある生きるために必要な物語、暗い時代を生き抜く力としての物語る力を手にしてみる必要。それをどうしたら創造的に生み出すことができるのか、私たちは、それぞれに考えてみることは必要なのではないだろうか。