心理占星術家nicoが選んだ今月の言葉は…
私が一番感心を持っているのは、人間の自由についてだ。つまり、事物を信じている、いや信じていると思い込んでいる個人を道徳的・社会的因襲の網の目から解放する事である。因襲の網の目は個人を囲い込み、限定し、実際の自分よりも狭く、小さく、時には悪く見せる事さえする。私が教師になる事をあなたがお望みなら、こういう言葉で要約しよう。あなたのままでいなさい…つまり、人生を愛する為に自分自身を発見しなさい、と。私にとって、人生は素晴らしいものである。そこに悲劇や苦痛があるにしても、私は人生が好きだし、人生を楽しんでいるし、人生に感動している。そして、こんな風な感じ方を他人と分かち合う為に、私は自分の最善を尽くす。
フェデリコ・フェリーニ著「私は映画だ/夢と回想」より
山羊座の言葉
フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini)
1920年1月20日イタリアのリミニ生まれ。月、太陽、水星を山羊座にもつ。
映画監督、脚本家。「映像の魔術師」の異名を持つ。高校卒業後、新聞社で漫画やコラムを書き、記者として経験を積んだ後、やがてラジオドラマの放送作家としての脚本の仕事が増えていった。1944年、ローマが連合国軍の制圧下に入ると似顔絵屋を開いて生計を立てていたが、映画監督ロベルト・ロッセリーニがこの店を訪れ、映画シナリオへの協力を頼んだことが、フェリーニの映画人生の始まりとなった。1952年までラジオドラマ時代も含めると10年間、映画単独でも7年間脚本家としての仕事を続けたものの、徐々に脚本よりも映画制作に興味を示し始めた。『道』、『カビリアの夜』、『8 1/2』、『フェリーニのアマルコルド』で四度のアカデミー賞外国語映画賞を、1992年にはアカデミー賞名誉賞を受賞した。– Wikipediaより
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伊丹万作、高橋源一郎などの候補があったのだが、悩みに悩んだ結果、今月はフェリーニの言葉を選んだ。面白いことに、フェリーニも高橋源一郎も決して短くない下積み生活を経た後、キャリアを築いたという。こういうところも「山羊座らしさ」と言っていいかもしれない。
世間に流されず、自分のやり方やペースを大事にする点。また何事も時間をかけ、気が熟すまでじっくり能力を育んでいく点。社会感覚を手放せたら、こんなに豊かに人生を味わっていけるのだということだ。
フェリーニのこんな言葉がある。
私は定義づけとかレッテル貼りを認めない。レッテルはスーツケースに貼るほうがいい。
たいへん厳密ではっきりした、完全な考えから出発して、そのあとでそれを実践に移すのはまちがった、危険な方法だと思う。私がこれから何をしようとしているのか、私は知らないはずだ。それに、必要な方策は、私が不明と無知に落ち込んだときにだけ、自分で見つけることができる。
この最後の「自分で」というのがいかにも山羊座らしい。牡羊座からはじまって10番目のサイン山羊座で自分のスタイルを完成させる。多少時間がかかろうが、自分が何をしようとしているのかわからなかろうが、そこには不安はない。自分の人生は、基本的に自分のもの、必ず「自分でみつけることができる」からだ。
それが冒頭の「自由」という言葉に、また「あなたのままでいなさい」につながっている。
なぜ山羊座は、こうまで「道徳的・社会的因襲の網の目から解放」され、伸び伸び自由にふるまうことができるサインなのだろうか。そして、多くの占星術の教科書には、これらとは逆の表現――常識的に囚われ、社会の枠組みの中で窮屈に生きる――が並んでいるのだろうか。
山羊座を構成している要素として、まずポラリティは「陰サイン」、モダリティは「活動サイン」、エレメントは「地エレメント」、そしてパースペクティブは「社会」となっている。
これを平たく言語化してみると、「内的充実を大切にするサインであり、自分の能力を使って生きていくことを第一義とし、誰かに強いられることを嫌い、自分の責任の範囲の中で楽しく、自分に嘘なく心地よく、自由に過ごすことを人生の目的としている」となるだろうか。このように書けば、フェリーニの二つの言葉は、まさに山羊座的であることがわかると思う。
そして、ここまで究極の地エレメント的こだわりを求めるということは、外界の世知辛さも大いに理解してこそなわけだから、「そこに悲劇や苦痛があるにしても」といった暗い表現も納得できる。
では、なぜ多くの占星術の教科書の山羊座の表現は、また多くの山羊座自身の人生は、また私たちの中の山羊座=土星=10ハウスは、フェリーニのような生き方から遠く離れてしまうのだろうか。
答えはそう難しくない。自分の心地よさを手放してしまうからだ。
最初から、自分の感覚や価値基準に合わないことはしなければいい。嫌だと思うことからどれだけ避けられるか、それが山羊座=土星=10ハウスを手にする近道である。おそらく多くのプロの山羊座(本気で山羊座を生きている人の表現)は、自分に納得できないことはしない。どんなに社会的に立派に見えようが、報酬が大きかろうが、自分をつまらなくさせるだろう物事には手を延ばさない。
そして、自分を縛り付けるような社会的因習からは、できる限り遠くに自分の身を置いておこうとするだろう。例えば、アメリカへと渡った村上春樹や坂本龍一のように。
2022年の山羊座期は、自分にとって大切だと思えることに精を出し、それ以外のことは気にかけない、そんなすがすがしい生き方にチャレンジしてみたいと思う。
フェリーニの「私は映画だ」のように、また山羊座の落語家・立川談志の「落語とは、俺である」のように、自己が従事している活動を生き様として身に纏うような宣言はできなくても、そこに向かっていく努力はできるだろう。そうすれば、
私にとって、人生は素晴らしいものである。そこに悲劇や苦痛があるにしても、私は人生が好きだし、人生を楽しんでいるし、人生に感動している。そして、こんな風な感じ方を他人と分かち合う為に、私は自分の最善を尽くす
と胸を張って言えるようになるのだろうし、そうなれたら素敵だと心から思う。これがホロスコープでもっとも高いところを目指すということなのかもしれない。
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