ポースティーラと月、寂しがり屋のレメディ~ホメオパシーと占星術

ポースティーラというレメディーがあります。
ポースティーラは、寂しがりやのレメディーです。
現物質は、アネモネ。アネモネの花弁にはうぶ毛が多くあり、それが傷付かないよう自分を守っているようにも見えませんか?

ホメオパシーのルーツの植物学には、象形薬理説という考え方があり、例えば、頭に似た形の植物は、頭に作用すると考えます。
産毛に覆われたアネモネは、可愛らしい子どもの頬のようでもあります。

ポースティーラは、子供に使われることの多いレメディNO.1です。

子供がかかる病気全般、特にお母さんにかまってほしくてかかる病気に有効です。
母親から初めて離れて、幼稚園などに通いはじめた子供は、風邪をひきやすく、耳を腫らし、皮膚に発疹をつくります。
しかし、この通過儀礼を乗り越えることで、子供は本当にたくましくなります。
そんな時、ポースティーラは力になってくれます。

女性の生理の問題にもよく合います。
また私は、月の所属の問題にかかわるレメディでもあると思っています。
月の時代とも深く関わるレメディです。

ポースティーラは、依存心のつよい人のレメディです。
過去の嫌な体験から小心者になり、自分で立って歩けることを忘れてしまった人。
親離れできない子供と、子離れできない親。
独立心を持って何かを成し遂げるのが苦手で、たくさんの不安と恐怖心を抱え、感情的で涙もろく、気分屋で泣き虫、すぐくじける人にはポースティーラです。

これは、その人の本質ではなく、そういう状態になってしまっているのです。
それは、天体をうまく使えない時と似ているかも知れません。

よく言われるのは、ホメオパシーをすることによって、玉ねぎの皮を剥いでいくように、自分の本質に気付いていくのです。

けれど、誰にでも月があるように、誰でもポースティーラの要因を持っています。
誰だってふと甘えたい時がありますよね。

ポースティーラと月の所属感覚にまつわる、私自身の印象的な思い出があります。
以前、私が農業のインターンをしていた時、そこの畑には猫が飼われていました。
名前は、そらといいます。
そらは、以前は別の人の家で飼われていました。
はじめは野良で、その家に住み着くようになったのだと聞きました。
しかし、色々な事情で飼うことが出来なくなり、農場にもらわれてきたのでした。

私が、農場にお世話になったばかりのころは、ちょうど そら もやってきたばかりだったと思います。
はじめは、いることすら気づきませんでした。
それくらい、近づくと一目散に逃げてしまうような猫でした。

そらは、建物の裏にある雑木林に住んでいました。
餌も、けして人の前では食べません。
いつも人がいなくなるのを確認して、そろーっとご飯を食べに来ていました。
それでも、農場の人達は、そらのことをとても可愛がっていました。

私は、そらの眼差しがとても寂しがっているような、怒っているようなそんな気がしていました。
そらは、自分は見捨てられたんだと思っていのではないか、と私には思えました。
そらが去り際にくれる眼差しが、「どーせ、あなたも私のこと見捨てるんでしょ!」と言っているように思えたのです。

本当はもっとかまって欲しいのに、どうせ、私のこといらないんでしょ!と怒って、さみしがっているポースティーラっ子に見えてしかたありませんでした。

私は、そらが飲むお水や餌に、ポースティーラを入れてみることにしました。
本当はそらは、とても愛されていたのです。
農場の人も、つれないそらに出来るだけの愛情をかけているのを感じていましたし、
そらが預けられたのも、仕方がない理由があったからなのです。
元飼い主さんも、そらのことが好きだったのです。
もし、そらが寂しがっているのだとしたら、その誤解みたいなものが溶けるといいなと思いました。

レメディーには、現物質が入っていませんから、その子に効かなければ、ただの砂糖玉として流れるだけです。
そして、その後、そらに驚く変化がありました。
あの、超人見知りだったそらが、手から餌を食べるようになったのです。
そして、自分から擦り寄って来るようになったのです。誰かれかまわずに。

農場の人たちも根気よくそらに愛情をそそいでいましたから、もちろんその効果もあるでしょう。
しかし、その変貌ぶりには驚きました。
私は、猫を飼ったことがないので分からないのですが、こういう変化は普通にあるものなのでしょうか?

そらの、いつものすり寄り方というのは、額を私たちの足にすりすりするのです。
調べたところ、猫が頭を擦り付けるのはマーキングなのだと知りました。
ここは、わたしの場所なんだ! という主張らしいのです。

居場所。
それを思うと、私は涙が出そうな気持ちになります。

それからというもの、そらは、それはもう本当に可愛くて、椅子に座っていると、いつの間にか膝の上に登ってくるのです。
離れようとすると、さみしいよーと言うように鳴きます。
どいてと言っても、まとわりついて離れない時もありました。
(でも、可愛いので許しちゃう)
これが、そらの本来の姿なのだと思いました。

レメディーは、特に子供や動物によく効くと言われます。私は、その変化を目の当たりにしてただ驚いていました。
そらが、私にとって忘れがたい猫になったのは、レメディーのことがあったからだけではありません。

そらは、死んでしまいました。
私の目の前で。
犬に噛み殺されてしまったのです。
衝撃でした。

死んだばかりのそらは、本当に恐ろしい形相をしていました。
すごく動揺したけれど、もう明らかに助からないと分かりました。

しばらくして、私は、とても怖かっただろうと、そっとアコナイト、アーセニカムをそらの口の中に入れ、私も、同じものを舐めました。
時間が経つにつれて、すこしづつそらの顔が穏やかになっていったように見えました。
私の気休めかもしれないけれど。

それから、そらをお墓に埋めました。
後日、元飼い主さんが、迎えに来てくれて、そらを引き取っていきました。

そらの変化が、ホメオパシーの効果であったかは調べようもありません。
しかし、最後に思い出すのは、幸せそうに膝の上でまどろんでいるそら。
甘えているそらです。
それを思うと、良かったなと思うのです。

これを書いて思ったのは、私がそらに会ったことにも、意味があったのではないかということです。
この時の私は、場所を変えればなんとかなる、新しい場所に行けば、居場所がみつかる、そう思っていたのです。

だけど、農場で学んだことは、どこにいても私が変わらないと何も変わらない、と言うことでした。
それを突きつけられたように感じたことを思い出しました。

ポースティーラのテーマは、
「魂の成長のため、いつかは一人で人生を歩んで行かなければならないということがわかる」
というものです。

月の基盤があるからこそ、本当の意味で自立していけるのかも知れません。
だとしたら、依存ではなく、自分の中に居場所をつくるような感覚は、とても大切にしたいと思いました。

余談ですが、現在私のネイタル月にトランジットの土星がかかっています。
自分に厳しくしすぎたら、自分の中にすら居場所を感じられなくなってしまったら、それは辛すぎます。
自分の月を大切にできるのは、自分しかいないですものね。

参考文献:
ホメオパシーin Japan―基本36レメディー (由井寅子のホメオパシーガイドブック1)」由井寅子 著