2019 牡羊座の言葉 ジャック・マイヨール

心理占星術家・nicoが選んだ今月の言葉は….



人はみな潜在意識のどこかに幻想をいただいているものだということだけは、この場を借りて申し上げておきたい。

われわれはみな、心の底にそれぞれの宝物や人魚、小さなピラミッドの幻想をひそませているものなのだ。

いつの日か、そんな幻想を実際に見つけ出す日は訪れるのだろうか。そもそもそうした幻想は本当に存在するのだろうか。そしてアトランティスは…? だがそんなことはどうでもいい。肝心なのは、エドガー・アラン・ポーが言っているように、果てしなく探して、探して、探しつづけることなのだ!

著書「海の記憶を求めて」あとがきより

 

今月の言葉

ジャック・マイヨール

1927年4月1日生まれ。

太陽と天王星を牡羊座に持つ。リュック・ベッソン監督の映画「グラン・ブルー」のモデルとなった伝説のフリーダイバー。人類として素潜りで初めて100メートルを超えた。大深度で血液が脳や心臓や肺に集中して生体を維持するブラッドシフトなる現象が人間にも見られることを自らの体で証明し、今までの生理学や医学的な人間の身体の可能性についての常識をことごとく覆してきた。2001年、イタリア・エルバ島にて自殺。

 

占星術の教科書には、よく牡羊座について「衝動的」「本能的」「開拓者」「冒険者」「戦士」といったボキャブラリーが並んでいる。これを読むたびに、ふと思う。

今の時代、牡羊座はどのようにしてこの世に所属の場を作ることができるのだろうかと。

これだけ情報が行き交う時代に、誰が衝動や本能のまま動くことができているのだろうか。世界中探しても、もはや未開の地などどこにもなく、「冒険者」と言われる職業も最近では耳にすることはなくなり、サイバーテロや貿易戦争など世界の争いも様変わりし、兵士の在り方も変わっている。

そうなると牡羊座が持つエネルギーを消化する場所はないのではないか? 今の時代、このエネルギーは何に向けて、どのように利用すればいいのだろうかと。

いや、牡羊座が生きる場所を見つけるのが難しいのは、今の時代だけではないのかもしれない。実際、エッセンシャルディグニティを見てみると、月のディグニティは、いつでも牡羊座ではペレグリン(さすらい人、さまよい人)となっている(双子座、獅子座、魚座も同様である)。安心を求める月は、牡羊座にいても満たされないということだ。

では、牡羊座はどのように世界に所属していけばいいのだろうか?

 



番目のサイン牡羊座が最初に体験する難しさは、魚座との決別である。

魚座的な心地よさ、離れがたさとは、ジャックが言う「われわれはみな、心の底にそれぞれの宝物や人魚、小さなピラミッドの幻想をひそませているものなのだ」。その美しく魅惑的な世界に別れを告げ、牡羊座は、自分の精神と情熱だけを頼りに「私」を探しつづけていかなければならない。

しかし、牡羊座の段階では、まだ「感覚」というのがしっかりと備わっていない。もしくは肉体的、現実的な実感では、自己を感じることができないサインなのである。だから、探しても、探しても、「これが私」という手ごたえを感じることが難しい。

そのように多く求めすぎ、答えを求めすぎた結果、「何も得られないこと」に大きな失望を覚えること、または孤独に陥ることは、牡羊座にとってめずらしくないだろう。

そもそも、「これが私」というものはどこにもない。それは、時間をかけ、生涯をかけ、つくり上げていくものなのだ。

現実の中に答えが見つからないことを知り、だから多くの牡羊座たち、また多くの牡羊座体験は、「私」のなさに圧倒され、歩みを前に進めるより、むしろ魚座へと、あのころの夢へと回帰したいと望むようになってしまうのだ。

 

ジャック・マイヨールは、こうも言った。

「情熱をなくすよりは情熱に溺れたほうがいい」と。

 

求めているものは、永遠に見つからないかもしれない。けれど、人は生きていかなければならない。生きて、人生を全うしなければならない。

情熱をもって、自分探しの冒険に出る。けれど、いつか自分の限界がやってくる。それは年齢なのか、身体的問題なのか、自分の能力の問題なのか、自分を投げ出したくなる時がきっとくるだろう。

けれど、そこで諦めてはいけない。「これ」という情熱を頼りに、ひたすら「自己存在」と向き合い続けるしかない。そのときは夢ではなく、現実のほうに意識を向け、自己をゆっくり確実に育てていくことが大切になる。

 

私たちは、いつ「私」を見つけることができるだろうか。

その日を待ちながら、私たちはひたすら生きるしかない。