獅子座の言葉 2020 五味太郎

心理占星術家・nicoが選んだ今月の言葉は….

撮影/ナカンダカリマリ http://nakari5.tumblr.com



「出る杭は打たれる」とか、「人のことをおもんばかれ」とかさ。みんなのためにというのは、余計なお世話だと思うね。「みんなのために生きている」って言うやつに限って、ほんとに迷惑だよね。ほんとに自分のために生きていない。でしょう? 当たり前でしょ。

人のために役に立ちたいと思っている人が一番役に立たないよね。今の世の中は、割と歴史的にも最低の時期にきているのかもしれない。一番あいまいな時期に来ていて。

危険な時期。つまり、みんなが自分の人生をやらない、やれない、やる力を蓄えてない。だから、しょうがないんで、人のことを手伝うって形の中で、自分をなんとかしようっていうのばっかりだよ。

全然わからないやつがずっといて、能力は、唯一「付き合う」っていう能力がつくわけ。賢いやつは、どうやって付き合ったら自分がまあまあ楽なのか、生きていけるのか。

プロインタビュアー佐藤智子『どんな人でも何かの達人「出る杭でも打たれない」絵本作家五味太郎に聞く』より

獅子座の言葉

五味太郎(ごみ・たろう)
1945年8月20日、東京生まれ。獅子座に太陽、水星、冥王星を持つ。

1973年に絵本作家としてデビューして以来、400作近くの絵本を書き続けてきた。そのほとんどが文・絵とも自作という、世界的にも稀な作家。世界各国で翻訳された絵本も40冊以上、12か国に及んでいる。国内外で開かれるワークショップも大人気だ。 

 5番目のサイン獅子座から、パースペクティブは「関係性」の領域へと入る。ここから、より「他者」が強く意識される段階へと踏み出すことになるのだ。

 蟹座までの領域はなんと平和だったのだろうか。人のことなどお構いなしに自分の世界の中でぬくぬくしていればいい。物は試しにチョロっと岩陰から出てみては、都合が悪くなれば、シュッと元居た場所に戻ればいい。それなら誰も傷つかないし、自分も傷つかない。

 けれど、獅子座の段階となるとそうはいかない。いよいよ、自分を陽の当たる場所へと自ら出かけていくときが来たのだ。

 だが、そのふるまいはまだ傍若無人かもしれない。なぜなら、これまで「自分の好き=心地よい」しか知らないのだから、そんな上手にふるまうことなどできないはずだ。でも、それでいいのではないか? 誰でも獅子座=太陽をやるということは、純粋に「自分のために生きる」のでいいのではないか? 太陽の熱は、いつも“今”つくり出されるものなのだ。そんな洗練などされている必要などないのではないか? そういった判断も評価も無意味なのではないか?

 五味太郎は、著書「絵本図録」の中でこう言っている。

絵本を作りながら他人様の絵本を読んだ。へえと思ったりほうと感じたり。なに、これ? ま、どーでもいいよね、なんてのも含みながら。このやり方はまったくぼくの方法だ。まずやってみてから、ちょっと周りを見渡すというやり方。下準備に他人から教わるという発想がない。別に意地張っているわけではなく、ま、そういう性格なんだ。

 私たちは、今、いつも「誰かの考え」「誰かのやり方」に脅かされている(向かい側のサイン・水瓶座=天王星的影響と考えていい)。自分の中の他者が常に自分自身を監視しているかのように、こういう考えは正しい、こういうやり方は正しくないと客観的に判断し続けている。

 いつからこんなふうになってしまったのだろう。物心ついてからずっとそうなのか。それとも、これまでの人生で痛い思いをしたり、挫折を経験したからだろうか、そんなに他人は偉いのだろうか。

 それとも、五味が言う「みんなが自分の人生をやらない、やれない、やる力を蓄えてない。だから、しょうがないんで、人のことを手伝うって形の中で、自分をなんとかしようっていうのばっかりだよ」という余計なお世話の中で甘んじて生きすぎてしまったからだろうか。

 獅子座期、「まずはやってみてから、ちょっと周りを見渡す」というのをやってみたいと思う。どうせ自分のできることなど限られているのだ。言われたってできないものはできないし、やりたいことは言われなくても勝手にやる。人のおせっかいなど気にせず、まずはやってみてから、“ちょっと”見渡してみようか。

 ちなみに、この五味太郎の“ちょっと”は大事なキーワードだ。彼の絵本は、なんだか、とりあえず、それなりに、なんとなく、どうやら、と言った言葉であふれている。未来に余白=遊びを残すこと。プロセスを信頼しながら語られる言葉、“今”を尊重するためのすこやかな暫定の言葉を彼はいつも好むのだ。

 考えてみれば、獅子座=太陽とは、そういうものではないか? 岩陰から出て、試しに“ちょっと”やってみること、その過程こそが獅子座なのではないだろうか?

 だから、まあ“なんとなく”、獅子座期は“とりあえず”自分の人生をやってみようと思う。