2020射手座の言葉 与謝野晶子


 私は現在に対してよりも未来に余計に執着を持っています。現在は平面で、薄っぺらで、底の知れた気がします。現在には緊張があるだけで、疑惑も驚異も乏しいように思います。未来は奥行きです。未来は永遠に試練と活動と創造の世界です。自分の内に隠れた神秘な力を紡ぎ出す境地です。

 私は支那の古聖が「四十にして惑わず」と云った格言が私自身の生活の上には何の意味もなさないことを想わずにはいられません。私は常に多少とも前進して未来の混沌の中に踏み込んでいきます。十歩行って十歩の事を知り、百歩行って百歩の事を経験しても、それでも未来がことごとく解釈されたと云うような大それた妄想を抱くようなことは決してしません。どれだけ進んでも新しい疑惑が続々と待ち伏せしています。未来に生きようとする私にとって「生きる」と云うことは半ば「惑う」ということであると思います。

 自分の未来がはっきりと視野の中に入るものであったら、人の一生は底の知れた、宿命的な、まことにつまらないものとなるでしょう。一日生きるのも百年生きるのも同じことになるでしょう。歓楽も悲痛も予め決定されていて、動きがいのない、飛躍のない、創造のない世界となるでしょう。人生は未来に対して絶えず新しい疑惑が起こればこそ、その疑惑を突破して未来の新生活を建てるために、一方には愛と智識とを少しずつ磨き出して未来を少しずつ透視し、一方にはその愛と智識の暗示によって一つの信念理想をつくり上げ、これを羅針盤としながら勇気をもって、未来の新生活への冒険的前進を実行します。

『鉄幹 晶子全集18 若き友へ 私自身の未来』より

 

今月の言葉

与謝野 晶子(よさの あきこ)

1878年12月7日生まれ。

大阪府堺市生まれ。射手座に太陽、金星を持つ。歌人、作家、評論家。

与謝野鉄幹と不倫の関係になり、鉄幹が創立した新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表。女性の官能を謳う処女歌集『みだれ髪』を刊行し、浪漫派の歌人としてのスタイルを確立。のちに鉄幹と結婚。『源氏物語』の現代語訳でも知られる。女性の自立論、政治論、教育論といった評論も数多く新聞に寄稿した。

 

 

  今は、火エレメントの受難時代である。最近、そんな話を講座やワークショップ等でよくしている。なぜなら、天空から火エレメントがすっかり姿を消してしまったのだ。木星、土星は地エレメントから風エレメントへと移動、天王星、冥王星は引き続き地エレメントに滞在し、また海王星はしばらく水エレメントに居座ることになる。

 時代から火のエレメントが消えた。これはどのようなことを意味するのだろう。

 

 天地創造の構成要素、火・地・風・水の始まりである火のエレメントの姿勢の一つとして、「未知なるもの」に向かって前進していくというのがある。

 まだ何もないところから体験を生んでいく勇気、生きていることの実感、虚無からの形成力、自分を知るための力試しの機会…こういったことが火エレメントのあるべき姿勢といえる。

 しかし、今は世の中から「体験」が奪われてしまった。なににつけても、まず何かしらの情報ありき、レビューありき。体験する前からあらゆることがネタバレで、何もせずして行った気になる、やった気になる。そして、危険なく安全な場所で静かにしているに限る。そんな風にして、私たちは完全に「生きる」機会、「惑う」機会を奪われてしまった。

 射手座は最後の火のエレメントであり、また学びと成長を意味する柔軟サインのテーマを持っている。つまり射手座の段階では、ここまでの体験で得た智識を総動員し、火エレメントの目的の一つである「自己存在の高み」を目指すことになる。

 それは、まさに晶子の言う冒険的前進である。

愛と智識とを少しずつ磨き出して未来を少しずつ透視し、一方にはその愛と智識の暗示によって一つの信念理想をつくり上げ、これを羅針盤としながら勇気をもって、未来の新生活への冒険的前進を実行します。

 

 

 この半年近く、「先の見えない時代」というフレーズをどれだけ目にしただろうか。そんな状況の中で、誰のどの考えが正しい、間違っているという議論がどれだけ空しく感じたことだろう。何かしらの策が出ては叩かれ、否定され、結局、いまだ未来に対し「惑う」ことしかできないではないか。

 

 それならば、未来は混沌であると開き直り、

 十歩行って十歩の事を知り、百歩行って百歩の事を経験しても、それでも未来がことごとく解釈されたと云うような大それた妄想を抱くようなことは決してしません。

 

というように、自己成長の歩み、学びの歩みを続けることしかできないのではないだろうか。

 人生は絶え間ない成長の機会、不断の冒険なのだから。

 

 晶子はこうも書いている。

無事と無難ばかりを考えて消極的禁欲的に身を守らせておけば、人の能力は発達の機会を失い、新しく思想することも新しく行為することもできず、ただ型通りの不本意なことを習慣的機械的に繰り返すだけの無気力な人間に沈滞、頽廃してしまうでしょう

 

 天空から火のエレメントが消えつつある今。現状維持を求める若者たちが増えている日本社会において、今後、私たちは未来を創るという発想や冒険的前進を目指す勇気を持つことができるだろうか。未来を生きるために、あえて「惑う」ことを選択できるだろうか。それとも気分や思いつきで書いたどこかの誰かの情報を頼りに、無事と無難の人生を送ることになるのだろうか。

 2020年の射手座期は、「惑う」ことを前提に未来を創っていく努力をしてみたい。何かしら自分に新しい冒険を課してみたい。新しい行為の中で新しく思想し、未来へと前進するための羅針盤を手にしてみたいと思う。

 

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