どんな言葉を使ったら、人生という仕事をおやりなさいとみなさんの背中を押してあげられるでしょうか?
女性のみなさんはみっともないくらい、ものを知りません。帝国を震撼させたこともなければ、軍隊を率い戦闘に赴いたこともありません。
私たちには両手いっぱいの他の仕事があったのですと、そうおっしゃるかもしれません。おっしゃることはごもっとも――否定はしません。しかし同時に、こうも言わせてください。1866年以降、イングランドには女性のためのカレッジが少なくとも2つ、開設されています。1880年以降、既婚女性には財産所有権を法律で認められるようになりました。そして1919年には――ちょうど9年前にあたります――女性は投票権を与えられたのではなかったでしょうか? また、専門職の多くが女性に開かれてからおよそ10年が経過しています。これらの多大が特権がすでに得られ、享受できるようになってからそれなりの年月も経っていることを考えれば、チャンスがなかったとか、訓練を受けていない、励ましが得られない、時間やお金がないなどという言い訳がもう有効でないのもおわかりになるでしょう。
ですからみなさんは、ご自分の人生航路の第2段階をもう始めなくてはなりません。その人生航路は、とても長くて苦労が多く、他人から顧みられることはじつに少ないものです。
シェイクスビアには妹がいたとわたしは申し上げました。彼女は一語たりとも書くこともなく埋葬されました。さて、わたしの信念はこうです。一語も書かずに埋葬されたこの人物は、いまなお生きています。みなさんの内部に、わたしの内部に生きています。ともかく彼女は生きています。
あと一世紀ほど生きて、もし各々が年収5百ポンドと自分一人の部屋を持ったなら、もし自由を習慣とし、考えをそのまま書き表す勇気をもつことができたなら、シェイクスピアの妹であった死せる詩人は、いままで何度も捨ててきた肉体をまとうでしょう。
私たちの側の努力がなかったら、彼女が蘇ったときに生きて詩が書けると思えるようにしておこうという決意がなかったら、彼女は出現できず、期待は叶いません。でも、彼女のためにわたしたちが仕事をすれば、彼女はきっと来るでしょう。だからこそ、貧困の中でだれにも顧みられずに仕事をしたとしても、そこにはやりがいがある――と、私は断言するのです。
ヴァージニア・ウルフ著「自分ひとりの部屋」より
水瓶座の言葉
1882年1月25日生まれ。
イギリスの小説家、評論家。太陽、水星を水瓶座に持つ。
20世紀モダニズム文学の主要な作家の一人。代表作に『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『波』といった小説や「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」という主張で知られる評論『自分ひとりの部屋』がある。
あれは正確には何歳だったのだろう。「女性が参政権を獲得するまでには、暗く長い歴史があった」と知ることになったのはいつだったのだろう。その事実を知ったとき、「戦い続けた女性たちのためにも、20歳になったら必ず選挙に行こう」と心に誓ったことを今でもよく覚えている。フセイン政権が崩壊した後の2005年、イラクの女性たちに参政権が与えられたというニュースが流れたとき、私の中に明るい光が差し込んだような、そんな気持ちになったことも、やはりよく覚えている。たとえ、それがアラブ諸国の女性にとって小さな一歩だとしてもだ。
こうした権利だけではない。私たちの目の前に広がっている世界は、先人たちの「もっとよりよい社会へ」という希望の中で生み出されたものたちであふれている。科学技術や芸術、学問といった文明もそう。社会システムや産業などもそう。そのときの必要によって、切なる願いによって生み出されたものたちが、今、ここに存在している。
そうなのだ、そこにあるのだ。必要なものは、すでに誰かが用意してくれているはずなのだ。
最後の風エレメント、最後の不動サインである、11番目のサイン水瓶座の段階で体験すべきことは、まず、「今、すでに手にしている価値に気づくこと」である。
参政権しかり、文明もしかり。そこにある価値に気づくこと、この世界は素晴らしい価値であふれていると実感することが重要な体験であり、ヴァージニア・ウルフが書いているような「多大な特権」に気づくためには、実際、非常に成熟した知性が必要とされるだろう。
こういった知性を育てることができれば、いわゆる「サステナビリティ――長きにわたり持続可能な世界を目指す」ことができる。これが、本来の風の時代の目指すところではないだろうか。
ここまで、牡羊座から始まる12サインの歩みの中で手にしてきたものたちを再評価してみてほしい。人でも仕事でも活動でも、自分自身の持っているものの価値――個性、魅力、美点――に気づき、そのありがたみを感じ、そして決して手放さないと決意してみてほしい。すると、そこから自分が生きるべき未来、伝えるべき価値が見えてくるだろう。
それは、神から火を盗み人間に与えたプロメテウスのごとく、それらの価値に気づいていない人たちに対し、目覚めの機会を与えること――水瓶座のもう一つの能力である「自分の知識や技術、経験を活かし、社会に対し貢献的、人道的な生き方へと向かうこと」――になるだろう。
たとえそれが「とても長くて苦労が多く、他人から顧みられることはじつに少ないもの」だとしても、人々が自由を勝ち取るべく「人生という仕事」をやれるよう背中を押すことになるのだ。
いま、「風の時代」「時代の転換期」などと騒がれているときこそ、むしろ「そこにあり続けているけれど、見失われている価値」を再発見し、手放さないよう握りしめ、そしてできれば、その価値を人々とともに共有していくこと。
ヴァージニア・ウルフの言うように「チャンスがなかったとか、訓練を受けていない、励ましが得られない、時間やお金がないなどという言い訳がもう有効でない」のだ。このような時代においても、私たちは実際、彼女が生きた時代以上に多くのものを手にしているはずなのだ。
手にしているものに気づけないうちは、自分を満たすことも、人を豊かにすることもできない。
ないものばかりを嘆き、言い訳ばかりの人生を生きるのではなく、自分ひとりの部屋すら手にできなかった先人たちへ思いを馳せつつ、あるものに心から感謝をし、手放すのではなく、いま手にしているものをできる限り有効活用することで、人も世界も豊かにしていく。
それが水瓶座期に目指す生き方になるのではないだろうか。
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