心理占星術家nicoが選んだ今月の言葉は…
人々はよく、われわれは生きることの意味を探っていると言いますが、人間がほんとうに探究しているのは、たぶん生命の意味ではありません。人間がほんとうに求めているのは、<いま生きているという経験>だと思います。結局、そこがいちばん肝心なところです。(中略)
そしてあなた自身の意味とは、あなたがそこにいるということです。私たちは外にある目的を達成するためにあれこれやることに慣れ過ぎているものだから、内面的な価値を忘れているのです。<いま生きている>という実感と結びついた喜びを忘れている。それこそ人生で最も大切なのに。
自著「神話の力」より
魚座の言葉
1904年3月26日、アメリカ・ニューヨーク州生まれ。太陽、水星、火星、木星を牡羊座に持つ。
大学で長年教職につく傍ら、世界各国の神話の比較研究に多くの業績を残し、斯界の第一人者として活躍。彼の作品は広大で、人間の経験に基づく多面的なものである。スターウォーズ他、ヒーロー物語の元型となった神話学の古典「千の顔をもつ英雄」の著者。彼の人生観に、「至上の幸福に従え」(Follow your bliss)がある。
一年前、2020年の牡羊座期は、エーリッヒ・フロムの言葉このような言葉を取り上げた。
人は自分の意志なしにこの世界に投げ込まれ、また、彼の意志なしに世界から取り去られる。そしてこの分離した存在として、自分を意識することが、彼を耐えがたく孤独に、よるべなく無力に感じさせる。いかにして我々は、分離の経験が作りだすこの悩みや閉じ込めや、恥というものを克服することができるか、いかにして我々は、我々内部において、また我々と仲間の人々と、また自然と合一を見出すことができるだろうか。
(中略)
人間が生まれる前に存在していた統一の状態への退行によって、分離性を克服し、統一を見出すことであり、また十分に生まれることであり、自分の自覚、自分の理性、自分の愛する能力を自分自身の自己中心的な関与を超えて新しい調和、世界との新しい合一に到達する点まで発展させることである。
フロムの上記の言葉は、おそらくジョーゼフ・キャンベルが神話を研究し続けた理由と同じであると思われる。
12サインは一番目のサイン・牡羊座から始まると言われているが、サインはそれぞれに前のサインをよりどころに、または足掛かりにして進んでいくと考えられている。牡羊座は、その前の12番目のサイン・魚座での体験が魂の成長の助けになるということだ。
魚座に全体化、集合的無意識、人類が語り継いできた物語という意味があるとしたら、牡羊座は一度魚座的領域=人間が生まれる前に存在していた統一の状態まで退行しなければ、牡羊座を始めることも、そして牡羊座を十分に生きることもできないということになる。つまり、牡羊座は12サインで最も神話を支えとして生きるサインだということがわかるだろう。
ここに牡羊座の魅力があり、また難しさがある。ときに牡羊座は十分に生まれることなく、魚座領域からの脱出に失敗することがあれば(薬物中毒、精神錯乱、現実逃避、引きこもり等)、外にある目的を達成するためにあれこれやることに慣れ過ぎ、内面的な価値=神話を忘れ、ひとり孤独に現実世界をさまようこともある。
キャンベルはこう言う。
「神話は世界の夢です。人間の諸問題を扱っています。神話がそれについて語ってくれるのです――失望、喜び、失敗、あるいは成功というような人生の転機にあたってどう対応すべきかを。神話は今、私がどこにいるかを教えてくれるのです」
牡羊座の段階で最初の一歩を踏み出すために象徴としての英雄的な物語――無知ゆえに世界に傷つき、生きることに恐れおののき、それでも闘いを挑み、褒美を手にするといった物語――に統一を見いだすことができたら、自分が今置かれている状況を理解するための元型なり、モチーフなりの手掛かりを見つけることができたら、牡羊座はようやく<いま生きている>実感を得られるのではないだろうか。
そこにはどのような神=正義が存在し、悪魔=試練が立ちはだかっているのだろう。どんな美しい彼/彼女との出会いがあり、何を生み出し、何を喪失するのだろう。そして、最期のときをむかえたとき、どんな物語を子供や孫たちに話聞かせるのだろう。
もし、こうした英雄的な神話を持たずに生きるとしたら、牡羊座(おそらく誰もがみな)は何を頼りに生きていけばいいのだろうか?
占星術における牡羊座に与えられた象徴の背景には、常に魚座的支えがあることを忘れてはいけない。ほとんどの占星術の記述によると、牡羊座はまるで傷つくことを知らない無邪気な子供のようだというレッテル貼られているけれど、最も生きることによるべなさを感じ、孤独と無力に震えるサインであることを知っておく必要があるだろう。
このような神話を持たない時代の中で、「頼れるものは自分だけ」という顔をして生きていかなければならない、そんな孤独を背負っていきていく負担を牡羊座だけに背負わせてはいけない。
12サイン最初のサイン牡羊座は、けっして「個人」として生きるサインではないのだ。むしろ全体とつながっていること、自己の背景に大いなるものの支えがあると知っているからこそ、火星を支配星とする英雄として生きていこうとする力を持つことができるといえるのではないだろうか。
キャンベルは、『神話の力』の第5章・英雄の冒険の中でこうも言っている。
冒険こそ冒険の報酬ですが、それには必ず危険が伴う。よい方向と悪い方向という両方の可能性があるけれども、どれもコントロールできないものです。
苦しまなくても生きていける、と言っている神話には、一度も出会ったことがありません。神話は私たちに、苦しみにどう立ち向かい、どう耐えるか、また苦しみをどのように考えるかを語ります。
みずから進んで時間のかけらである現世に身を置き、積極的に、喜びをもって、この世の悲しみに参与するのです。
神や霊魂から切り離され、英雄の冒険を生きることなどなく、日々目の前のニュースに右往左往している私たちは、できるかぎりなんとか苦しみを避けて生きようとしているし、行動には何かしらの意味を持たせようとしているし、外にある目的を達成するためにあれこれ やろうとしている。
しかし、もしかしたら今こそ、私たちは神話を生きるチャンスなのではないだろうか。悪魔のようなウイルスが世界に襲いかかり、外に出ることもままならず、故郷から切り離され、収束も見えないまま不安な日々を過ごしている。そのようなときこそ、<いまを生きている経験>、その充実感や喜びを握りしめてみる必要があるのではないだろうか。
そういった経験を得るためにこそ、キャンベルは「神話を読めば、内面に向かうことができ、象徴のメッセージを受け取れるようになる」と言う。
私たち一人一人の中に存在している内的牡羊座は、今、どんな神話を求め、どのような英雄として生きていこうとしているのだろうか。
<いま生きている>という実感と結びついた喜びを思い出すために、自分たちの中にある物語を探してみるのはどうだろうか。
このような時代だからこそ、牡羊座期の1か月間、自分だけのとっておきの神話=内面的な価値を見つけ、そしてそれだけではなく、今こそ十分に生まれ、つまづきながらも<いまを生きている>という実感をもって、人生を一歩一歩前に進ませていく必要があるかもしれない。
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