心理占星術家nicoが選んだ今月の言葉は...

 

 

老若男女を問わず一切の放蕩者よ、諸君だけに、作者はこの作品を捧げよう。この作品の教えによって、諸君の精神を涵養(かんよう)するがよい。諸君の情欲もそれにつれて生き生きとするだろう。そもそも、この情欲というものは、無味乾燥な道学先生(※)にとっては怖ろしいもののごとくだが、実のところ、自然が自然の目標に人間を到達せしめんがために用いる手段にすぎない。この楽しい情欲の声以外のものに、耳を藉すな。情欲の源こそ、諸君を幸福にみちびいてくれるただ一つのものなのだから。

※道学先生とは道徳にとらわれ、世事人情にうとく融通のきかない人を軽蔑していう語

著書「閨房哲学」より

双子座の言葉

マルキ・ド・サド

1740年6月日 パリ生まれ。太陽、木星を双子座に持つ。

18世紀、フランス革命期の貴族、小説家。マルキはフランス語で侯爵の意であり、正式な名はドナスィヤン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド。道徳的にも宗教的にも制約を受けず、哲学者の究極の自由と、個人の肉体的快楽を追求することを原則とした。遊興と筆禍のため生涯の大半を獄中で過ごし、そこから生み出された数々の作品は正当に評価されることがなかったが、20世紀に入り再評価される。「サディズム」という言葉は彼の名に由来。革命直前の178972日、バスティーユから「彼らはここで囚人を殺している!」と叫び、革命のきっかけの一つを作ったと言われている。

 

 

 

 風エレメントを表現する言葉の一つに自由というのがある。では自由とは、実際のところどのようなものなのだろうか。行きたいときに行きたいところに行く、やりたいことをやる、それが自由なのだろうか。それとも物理的云々なものではなく、むしろ思想的、精神的に自由であること、自由に考え、自由に語ることを自由というのではないだろうか。そうだとしたら、その自由を阻むものとは一体何なのだろう。

 

 マルキ・ド・サドは道徳的、宗教的なものから徹底的に自由になること、個人が個人として自己完結することを目指し続けた。ホロスコープの配置から考えた場合、道徳的、宗教的というのは、まさに双子座の対向サイン、射手座の担当である。

 

 牡羊座、牡牛座と歩みを進めたあと、番目のサインが双子座である。自分というものを確立したあと、いわゆる「好奇心のおもむくままに」「風の吹くまま気の向くまま」に自分を自由に広げていく。これは占星術における一般的な双子座的表現である。

 だが私たちは、本気で好奇心のおもむくままに自分を解き放つことができているだろうか。人の目を気にせず、神の目を気にせず、きれいごとや絵空事に向かわず、文字通り自由に生きることができているだろうか。物理的に制限があったとしても、せめて思想や精神くらいは、おのれの欲望に忠実に悪徳を許すことができているだろうか。それとも常に検閲が入り、悪い考えがよぎった自分を戒め、窮屈な気持ちに萎れていないだろうか。

 

 生まれてから、どのくらい自分に禁忌を破ることを許したことがあるだろうか?

 タブーと思えるような思索にふけってみたりしたことは?

 

 実際、欲望にどっぷりと身を任せてみると、自分を満足させるものは何か、他者が望むものは何なのか、その境界線がおどろくほど明確になり、個体としての自己が完成する。しかし、あれもだめ、これもだめ、とはじめから制限ばかりかけていると、むしろ恐れ、不安、夢想ばかりが先に立ち、自分が満足を享受すべき領域、限界値がまったくわからなくなり、他者との共存するがための思想――倫理や道徳といったものに頼るしかなくなり、いつしか自由を手放すことになってしまう。

 「閨房哲学」の中にこんなセリフがある。

 

いいですか、徳なんてものは空想にすぎないんですよ。いわゆる淑徳の女人なんぞの連中にだまされてはいけませんよ。連中を動かしているのは、われわれのと同じ情念ではないのです。彼女らははるかに軽蔑に値する他の情念を胸に抱いているのです。つまり、それは野心であり、慢心であり、おのれの一個の利害心です。だから欲情の声に耳を傾ける者のほうが、ずっと理屈に合っていると思います。なぜならそれのみが自然のオルガンであるのに対し、他方は愚昧と偏見とのそれにすぎないからです。

 

 

 野心や慢心というのは、まさに対向サイン射手座・木星のネガティブな表現、社会的報酬や社会的欲望にとらわれた状態であり、個人の純粋な生きる力を削ぐものである。

 

 私たちは最近、どれだけ人を気にせず、思い切り自由に自分の欲求に埋没しただろうか。人の目なのか、神の目なのかを気にしすぎては控えめに生き、または自分がまるで道徳そのものであるかのようにふるまい、自分も他者も窮屈にさせてしまっているのではないだろうか。

 

 

 タロットカードの番目のカードは「女帝」。たわわに実った麦の穂、豊かな川の流れといった自然の中で、満足げに微笑み椅子に腰掛けている女性の様子が描かれている。まさに快楽とともに自己が存在していること、自然の営みとはこのように快楽を楽しむことであることをこのカードは教えてくれている。そうでなければ、自己は何のために生きているのだろうか? 自分自身を謳歌し、生命と一体になるためにここにいるのではないのか?

 

 202114日、木星が魚座にイングレスした。双子座とは90度の関係であり、副支配星は木星となっている。魚座はまさにマルキ・ド・サドが忌み嫌ったキリスト教(依存的であり、社会規範的である)と関連している。

 

 サドは、自己の中で欲求を完結させ、他に依存せず、また社会がそうした個人からなることを目指せば、人間の美徳と信じられている良心などというものは世に不要なるのではないかと考えていた。

 他者と共に生きるにしても、孤独を選択したとしても、まずは双子座の段階で自己をとことん完結させる必要がありそうだ。そうでなければ、永遠に欲望は尽きず、救済を他に求め、自由からどんどんと遠ざかり、ますます自己から疎外され、人とともに生きてはいてもより孤立感を強めることになるだろう。

 サドは書く。

 

人はただ自分のためのみ、他人を愛するべきです。他人のために他人を愛するというのは、一つの欺瞞にすぎません。自分に何かの点で都合がよいものならとにかく、それ以外の衝動や感情を人間にふきこむようなことは、決して自然はしないはずです。

 

 さすがにサドのような遊びに興じるわけにもいかないが、せめてこの双子座期は、まずは自分を生きてみる。他人に余計なおせっかいをせず、社会の善悪から離れ、自己の生に向き合い、精神を自由に遊ばせ、自分をとことん楽しんでみてはどうだろうか。

 

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