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双子座では多くの未知のものと出会うことで、主観から客観へと視野を広げ、多様な環境の中でも埋もれない新しい自己像を探求しました。

個人サインの最終段階、水のエレメントの蟹座では、探求した自己像の何を受け入れられると所属や連帯を感じられるのかを、自分の感性によって明らかにしていきます。

蟹座は活動のモダリティらしく、自分から他者に感情移入をしたり、自分が感じたことを他者に投げかけたりして、共感を生み出そうとします。無垢な感受性を持つ蟹座が求める共感とは、母子間の無償の愛のように純真なものです。

もし理解しようという人が現れたとしても、自分のわかってほしいポイントとずれていたり、同意を求めるあまり自分がおもねっていたりでは、心からの所属を感じることはできません。

みずみずしい感性から生まれる自分だけの純粋な世界観によって共感し、共感されてはじめて、蟹座の望む本当の所属感や連帯感を持つことができるのです。

それゆえ、たとえ目に見える現実には即していなかったとしても、蟹座の表現する世界は、個人の心の内が混じりけのない形で表わされるものになります。

この上なくパーソナルで純粋な心象の表現であるからこそ、私たちだれもが持つ個人的な記憶や感情とも共鳴し、見る者の胸を大きく揺さぶるのです。

今回は、蟹座の太陽を持つマルク・シャガールの作品と人生を題材に、蟹座が求める所属感と純粋な心象風景ということについてお話ししたいと思います。

まずは、シャガールの作品を何点か見ていきましょう。

   

牛がパラソルを持っていたり、恋人たちが大きな花束の上に乗っていたり、まるで夢の世界を見ているかのようです。

3枚目の作品では、ワインを掲げてうれしげなシャガール本人が、彼の妻ベラに肩車で支えられているというよりは、自分から軽やかに宙に浮かんでいたずらをしているかのようにも見えます。

シャガールは、ベラルーシに位置する旧ロシア帝国のユダヤ人居住区の出身で、彼らの話すイディッシュ語の「とてもうれしい」ということを示す単語には、「空中に舞い上がる」という意味もあるそうです。

上に描かれている天使は、当時生まれたばかりの娘イダを表していると言われていますが、最愛のベラとイダとの暮らしに彼が”空中に舞い上がる”感じがよく伝わってきて、見ているこちら側にも、うれしくて無邪気にはしゃいでいた時の記憶を想起させます。

シャガールは画家としてのキャリアを通して自分の心の内を表現しましたが、その作品スタイルは、中学生の時に画家という職業を選ぼうと思った瞬間からすでに始まっていました。

『画家』という言葉はそれまでむしろ避けてきたが、友達が自分のことを画家と呼んだとき、自分をいちばんよく表すのはその言葉だということが、つきものが落ちるように明らかになったのだ。僕は自分の思い出や夢や考えを絵で表す、キャンヴァスや紙の上で、自分の世界―花、ランプ、サモワール、優しい目をした雌牛、そしてバイオリン弾きやラビやヴィテブスクの人々―に命を与えるのだ、マルクはそう思うようになっていった。
マルク・シャガール」ハワード・グリンフェルド著より

その後、本格的に絵の勉強をしようと向かったサンクトペテルブルクの美術学校の入学試験では、デッサンの正確性よりも題材に対するシャガールの印象が強く出てしまっていることが理由で落ちてしまいます。

それでも別の学校の入学試験では、「将来性のある独創的な作品を描いた」と校長の目に留まったため、奨学金付きでの入学を許可されました。1900年代初頭、ロシアの首都だったサンクトペテルブルクでの滞在は特定の専門職や学生としての証明書が必要で、最初の入学試験前、それを保有していなかったシャガールは投獄された経験すらありました。

画家になりたいという夢や、現実的な側面からみても美術学校への入学は急務だったにもかかわらず、その試験にさえ自分の世界を純粋に表現してみせるところは、心からの共感による所属を求める蟹座の行動の表れと言えるかもしれません。

その学生時代に描かれた作品はこちらです。

当時としては最新の画風であり、ロシアの学校でも題材に取り上げられていたマティスやゴッホなどからの影響は感じられますが、3枚目の自画像などは特定の流派の影響下にあるというより、すでにオリジナルな画家としての自信をみなぎらせているようにさえ見えます。シャガールの成長ぶりを見た教師の一人も、こんなコメントを残しています。

彼のすばらしさは、授業を一言も漏らさず聞いたあと、自分の絵具と筆を取り出し、私が言ったのと何かまったく違うことをやりだすところにある。
前出「マルク・シャガール」ハワード・グリンフェルド著より

そしてこの頃、のちに彼の妻となり、作品にも頻繁に登場するベラと出会います。画家になろうと決意したことも、実際には子供時代に友達に見せた絵を褒められたくらいの、いわば思い込みのようなことがきっかけですが、ベラとの関係性も、シャガールが感じたことをそのまま投げかけたことから始まりました。

シャガールがベラとは別のテアという女友達の家にいた時、ベラがテアを訪ね、ドアの隙間からお互いを見たことが最初の出会いでした。

急に、私は、私といなければならないのはテアではなく、彼女であると感じた、彼女の沈黙は私のものだ。彼女の眼は私のものだ。まるで彼女は私をずっと以前から知っているようだった。私の少年時代も、現在の私も、私の将来もすっかり知っているようだった。私は初めて彼女に会ったのに、彼女が私の最も近くにいて、私を見はっているように思われた。私は、彼女こそ私の妻になるのだと感じた。
シャガール わが回想」マルク・シャガール著、三輪 福松・村上 陽通 (訳)より

非常にロマンチックでもあり、一目見ただけでここまで想像できるのかと驚くほどの感性ですが、この出会いの少し後に、シャガールがベラを描いた作品がこちらです。

上で見た家族3人が登場する作品のベラと比べると、いくぶん心理的な距離を持って描かれているように見え、腰に手を当てたポーズや表情からは、彼女の自信や意志の強さ、確かな知性が感じられます。

実際、ベラは裕福な名門家系に育ち、高校卒業の際には全ロシアでの優秀卒業生として選ばれているほどですが、写真で見ると、彼女はもっと女性的で柔和な顔立ちをしています。

シャガールは町のはずれの家の出であり、学校の成績は平均以下、画家としても本人の自信ほどには認められていないことへの不安から来る心理的な距離感が、このよそよそしさに表れているのかもしれません。

若い2人の恋は燃え上がり、シャガールの“予言”どおり程なく婚約をしようとお互いが心に決めますが、階級の違いもあり、いまだ海のものとも山のものともわからない画家志望の青年との結婚など到底認められないと、ベラの家族は大反対をします。

シャガール自身も画家としての成長を目指し、パリ帰りの教師が教鞭をとる学校に移るなどロシアでできる限りのことをしましたが、徐々にそこは彼が本当にいるべき場所とは思えなくなってきます。

私は町の人たちといると気が楽だ。だが…..この人たちは伝統のこと、エックス(訳注セザンヌ)のこと、耳を切った画家(訳注ゴッホ)のこと、立体のこと、正方形のこと、パリの画家のことについて語られるのを聞いただろうか。ヴィテブスクよ、私はお前を見棄てる。おまえは鰊たちと一緒に暮らすがいい。
前出「シャガール わが回想」マルク・シャガール著、三輪 福松・村上 陽通 (訳)より

自分には小さくなった殻から脱皮をするようにシャガールはパリ行きを決めますが、それはどうしようもない衝動に突き動かされたり、新世界への好奇心が抑えきれなかったりということではなく、ベラや故郷への想いをひきずりながら、両親にはパリについてきてほしいと頼むような感傷的なものでした。

パリに拠点をおいた後の作品に、芸術ではパリが彼にインスピレーションを与え、それでも望郷の念は募るという2つのことが一緒に表現された作品があります。

ロシア時代の抑制された色調と比べると、シャガールらしい原色の組み合わせがあり、人が飛んでいたり電車は逆さまに走っていたりと、彼の幻想的なスタイルがすでに確立されていることがうかがえます。

画面右下の2つの顔を持つ人物は彼自身の内面を表していると想像できますが、都会的にすました青い顔のほうは、手のひらにはハートまで描かれていて、パリという街に魅せられ、その環境が彼自身や彼の芸術を洗練させたことの表れのように感じられます。

一方、右を向いた顔は、おそらく遠く東の故郷を向いていると思われますが、純朴そうでもあり傷つきやすそうでもあるその表情は、田舎に暮らしていた時の自分であり、彼の中の故郷の記憶をたどっているようにも見えます。

シャガール自身も故郷とパリについて、こんな言葉を残しています。

私の芸術の根っこを育ててくれた土はヴィテブスクだったが、樹木が水を求めるように、私の芸術にはパリが必要だったのだ。私が故郷を離れる理由はそれ以外にはなく、私は絵画においてつねに故郷に忠実だったと信じている。
もっと知りたい シャガール 生涯と作品」木島俊介著より

この言葉通り、シャガールは故郷を題材とした作品を終生描き続け、彼が「第2のヴィテブスク」と呼んだパリの風景も、多くの作品内に見られます。ただ、興味深いことは、それらの作品のうちで最良のものは、彼がその地を去ったのちに描かれていることです。つまり、ヴィテブスクの作品はパリ時代以降に、パリを題材としたものはその後の南仏移住以降に、という具合です。

このことは、蟹座らしい感性の表れではないかと私は考えています。多くの人にとっても過去は美化されやすいように、いま目の前にある物事よりも、それらが記憶となったときのほうが、より個人的で美しい姿となり得ます。起源を感じられる所属感や連帯感を持つには、自分の内面で純化された故郷の記憶こそが大切で、シャガールはこのことを描いたのではないでしょうか。

そんなシャガールがパリ時代に故郷を描いた、彼の代表作のひとつとされる「私と村」という作品がこちらです。

ここには農夫もいれば家畜もいて、逆さまになった家や人もいれば欠けた月も描かれていて、これらが彼の心の中に生き続けているヴィテブスクの風景のように思えます。おそらく彼自身だと思われる右側の人物は、後年彼が「生命を表す」と語った緑色に塗られ、生命の木を持っています。実際の故郷から離れ、自分の内で再構成された記憶がつまった世界に、シャガールは自分の生きる力の源を感じていたのでしょう。

国立西洋美術館館長などを歴任した高階秀爾氏は、著書「続 名画を見る眼」の中で、この作品に見られるシャガールの心象風景について、次のように述べています。

(中略)この緑の男が眺めている大小さまざまの動物や、人物や、建物からなる夢のような情景は、シャガールの生まれたロシアの寒村ヴィテブスクの風景であるに相違ない。いや、風景というよりも、それはシャガールの心の中での故郷の顔である。(中略)

シャガールの作品では、しばしば人間が空中を飛んだり、動物が音楽を演奏したり、現実にはあり得ないようなことが起こる。人はそれを「幻想」とか「夢」と呼ぶが、しかし、ちょうど子供たちにとってはお伽噺の世界が時に現実の日常よりもはるかに身近なものであるように、「幻想」の世界に生なましい現実性を感得し得る人もいるのである。(中略)

シャガールの「幻想」の持つ実在感は、彼が故郷の教会堂や納付や動物たちに深い愛情を抱いていることに由来する。人は、愛する者が傍らにいない時、いっそう強く、一層鮮明に、そしていっそう慕わしくその姿を思い描くものである。

続 名画を見る眼」高階秀爾・著より

 

パリに来て4年が過ぎようとしていた時、シャガールにとってパリはすでに第二の故郷になっていましたが、そこにはベラがいませんでした。遠く離れている間にも手紙のやり取りはありましたが、シャガールは手紙の文面から彼女との心理的な距離を感じるようになり、これ以上パリにとどまっていると、ベラは誰か他の男に取られてしまうのではないかと心配になってきます。そこで、ベルリンでの個展を機会に、その開会式にだけ出席し、翌朝にはさっさと故郷に戻ってしまいます。

その直後、ドイツがロシアを含む近隣国に宣戦布告しヨーロッパ全土は第一次世界大戦へと突入していき、シャガールものちに兵役に取られることとなりますが、彼の内面世界では、ベラの熱烈な歓迎と二人で過ごす時間がそのほとんどを占めるようになりました。

シャガールは故郷にアトリエを構え、ベラはそこに毎日のように通ってきたといいます。

シャガールが、ヴィテブスクの「記録」と呼んだ仕事に精力的に取り組んでいると、ベラが夜となく昼となくアトリエに食べ物を運んできてくれた。(中略)同時に彼女は、食べ物ばかりか愛情と霊感をも運び、シャガールはそんなベラを通して、愛の「肖像画」を描くようになった。こうした絵には、星のように光る瞳で宙に舞う恋人たち、あるいは逆さまになったり、喜びのあまり舞い上がったりする恋人たちの姿が描かれており、稀有のやさしさと美しさがあふれている。ベラに対する気持ちがあればこそ、愛―人間と人間の絆―はときに、シャガールのもっとも神秘的な作品の主題となったのだ。

前出「マルク・シャガール」ハワード・グリンフェルド著より

そしてついに2人は結婚することとなりますが、その結婚式の2週間ほど前のシャガールの誕生日に描かれたのがこの作品です。

花束や机の上のケーキを持ってお祝いに来てくれたベラに、シャガールは宙を舞い、現実にはあり得ない体勢でキスをしています。まさに純粋な彼の心の内の表現であり、最愛の人との大切な時間がもたらす天にも昇る心地がひしひしと伝わってきます。

そして、実はこの作品は、一度行方が分からなくなってしまったこともあり、約8年の時を経て、再び描かれています。それはおそらく、この作品がベラと彼とのお互いの愛情が結晶化したものであり、シャガールの人生最良の日の一つであったこの日の記憶こそ、彼が心から所属を感じられるものだったからではないでしょうか。

シャガールは98年もの生涯の最晩年まで制作を続け、絵画はもちろんのこと、聖書を題材とした版画集や世界各地の教会のステンドグラス、パリのオペラ座の天井画など、その活躍は多岐にわたりました。

愛に満ちた作品群は世界中の人々の心をとらえ、日本でも絵画や版画などのコレクションを持つ美術館は複数あり、2017年6月現在、箱根のポーラ美術館では「愛と平和の賛歌」と題されたシャガールとピカソの展覧会が開催されています。(展覧会は9月24日まで)

蟹座の心の内には、目で見える現実を超えた、個人的で純化された世界が存在しています。その世界への所属や連帯を感じることによって、蟹座は情緒的に安心することができます。蟹座が表現する世界観はきわめてパーソナルで純粋なものであるために、私たちひとりひとりの個人的な記憶や想いと共鳴し、心の琴線に触れてくるのかもしれません。

シャガールの作品と生き方には、蟹座ならではのみずみずしい感性によって生み出される、“私”の心の世界が見てとれるのではないでしょうか。

この記事を書いたひと

丸尾陽介
会社経営のかたわら、2015年より心理占星術を学んでいます。
2016年には国内外で延べ70館以上をまわった趣味の美術館めぐりがきっかけでこの記事を書いています。
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丸尾陽介

会社経営のかたわら、2015年より心理占星術を学んでいます。 2016年には国内外で延べ70館以上をまわった趣味の美術館めぐりがきっかけでこの記事を書いています。