獅子座の季節によせて~こうの史代『この世界の片隅に』

残暑お見舞い申し上げます。

うさ子です。
8月も半ばを過ぎると、なんとなく秋の気配…

まだまだ暑いんだけど(最近は雨続きですが…)一年の前半はこのあたりを目指して頑張ってきて、思い切り海、山、都会のイベントなどで盛り上がった後だからなのか、それとも帰省して久々に懐かしい人たちに会ってきたからなのか、はっきりとはわからないのだけど、なぜか、今くらいの時期になると気持ちがざわざわしてくる。

ちょうど、この時期はお盆でお墓参りをしたりして、あの世を感じるからなのだろうか?いやいや、それ以上に戦争の傷跡を見せつけられるからかもしれないと思ったりしている。(奇しくもこれを書いているのは8月15日)。
真夏の太陽がハッキリと、闇に光をあてているようにも思う。

読売新聞に”語り継ぐ、受け継ぐ 戦後72年”というコラムが数日にわたり掲載されていた。その最終回に、”桜が美しいと一生思うまい”というくだりがあった。空襲の後始末をされていた方の言葉だった。その一言が心の傷跡の深さを物語っている。

そんなこともあり、今回ご紹介する本は、漫画「この世界の片隅に」という作品です。映画公開され、今もあちらこちらで上映されているようですね。

初めてこの作品にふれたのは春ごろでした。映画でした。うさ子は、けっこう心が弱いので戦争ものとかはテレビドラマでも見ません。
あの有名な「火垂るの墓」もちゃんと見たことはないのです。
ただ、「この世界の片隅に」は観ることができたのです。激しい戦闘シーンや残酷な場面はほとんど描かれておらず、戦時中の庶民の暮らしぶりが静かに淡々と描かれていたこと、そして、大きな絶望と悲しみの最後に、小さな光と希望で締めくくられていたことにも好感がもてました。

原作者の漫画家こうの史代さんは広島県のご出身で、広島の原爆を扱った作品が多くあります。被爆者ではなく被爆二世でもありません。十数年前に編集者から「広島の話を描いてみない」と言われたのがきっかけなのだそうです。
それまでは、こうのさんにとっての原爆は、遠い過去の悲劇で、怖いという事だけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきたそうです。
ところが、東京に来て暮らすうち、広島と長崎以外の人は原爆の惨禍について本当に知らないのだということに気づき、知ろうとしないのではなく、知りたくてもその機会に恵まれないだけなのだということに気づいたのでした。
原爆も戦争も経験しなくても、その土地のその時代の言葉で、平和について、伝えていかねばならないと強く思い、こうのさんは漫画という手段をもちいて描き始めたといいます。

こうのさんの好きな言葉はフランス人作家、アンドレ・ジッドの「私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を書きたいと思っている」というもの。真の栄誉を隠し持つ人間”…。非常に気高い感じがします。
まさに「この世界の片隅に」の中では、主人公すずさんがその”真の栄誉を隠し持つ人間”なのでしょう。

見ず知らずの青年に見初められて、一方的に嫁に欲しいと言われ、数ヶ月後には嫁入りして、主婦になったすずさんの日常がメインでこの物語は描かれています。

このすずさんを見ていると、日常生活というのは本当にドラマチックだなぁと思います。さらに、平和な日常に対するありがたみや愛おしさが切々とこみあげてくるのです。
すずさんがとても若くて純粋な人だからかもしれませんが、野草をおかずに取り入れたり、着物をもんぺに作り替えたりするシーンも、(当時の人はみんなやっていたのだと思うのですが)不自由な暮らしも当たり前のこととして受け入れて創意工夫しながら生きている姿には、豊かな現代社会しか知らない者にとっては、ただ、ただ頭がさがります。
それから、すずさんは絵を描くことが好きでとても上手でした。原爆で利き手の右手を失ってからも描き続けています。絵を描くことは、当然、すずさんには思いもよらないことだと思いますが、様々な状況で心のバランスを保つことに貢献していたのだろうと思います。

獅子座の時期に考えていたこと。
今だって戦争している国はあるわけだし、国を追われたり、自由な言動など許されていない国や人々は大勢いるのです。だとしたら、自分の太陽サインを生きるというのはどういうことなのでしょうか?

獅子座の太陽=自己表現、それは特別な才能がある芸術家やパフォーマーである必要はないのだろうと思います。創造のエネルギーというのは、誰もが生まれながらにして携えてくる生命エネルギーに等しいものではないかと思うからです。

私たちは人生のどこかの時期に、必ず、自分らしさを表現して生きているのだと思います。
それがまだ実感できない人は、これからなのかもしれませんが、そのためには蟹座の安定した自己の確立が必要なのかもしれません。

すずさんの時代の人は、自分の人生を選択して生きることなど思いもよらなかったことでしょうね。

現代を生きる私たちには人生のあらゆる場面で選択の自由があるのです。
なんと幸せなこと!

最後に、アンドレ・ジッドのこんな言葉を見つけたので贈ります。

人は誰でも素晴らしい可能性を秘めている。
「自分次第でどうにでもなる」ということを忘れてはならない。