星音の履歴書 牡牛座 ー エリック・サティ

今月から、星音の履歴書と題して、星と音楽家、そしてその作品について綴っていきます。
記念すべき第一回目は、エリック・サティ。

 

エリック・サティは19世紀末から20世紀にかけて活躍したフランスの作曲家。
自らを「音響計測者」と呼び、周りから「音楽界の異端児」、「音楽界の変わり者」と称され 、同じフランスの作曲家ドビュッシーやラヴェル、そして西洋音楽界にも多大な影響を与えました。
代表作に「三つのジムノペディ」、「三つのグノシエンヌ」「Je te veux(あなたが欲しい)」、「干からびた胎児」があります。

サティの曲には、独特の雰囲気があります。
必要最低限の音から成るメロディ。時には不協和音。でもそれすらも心地よい。

そして曲だけではなく題名も「グノシエンヌ」といった造語だったり、「梨の形をした三つの小品」、「ぶよぶよした前奏曲(犬のための)」なんてユーモラスでシニカルなものが多いのです。また楽譜にある指示も、「あなた自身をあてにして」、「舌の上に」といった、もはや演奏の指示とは思えないものも。
さらに通常楽譜に記載する拍子記号や小節線もサティの譜面には存在せず、装飾されて書かれた音符はまるで絵画のよう。音楽そのものだけでなく、それを取り巻く世界までも牡牛座サティの満ち満ちた世界があらわれているのです。

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では、サティのチャートを考えてみます。
サティの太陽は牡牛座で、月は蟹座に位置しています。

牡牛座の太陽は、水瓶座の木星とだけトラインのアスペクトをとっています。けれども特徴的なのは月のアスペクトで、蟹座の天王星が合、牡羊座の火星・海王星がスクエア、水瓶座の木星、蠍座の土星とトライン。かなり個性のある月です。

 

心理占星術で、月が何よりも大切にしていることは、自分が安心していられる場所を持つこと。
度重なる転居、6歳の時に母親が、その数年後に祖母が相次いで亡くなり、父親の再婚相手の音楽教師からピアノを習い、寄宿生活の後音楽院に入学するも、退屈さから軍に入隊するがすぐに除隊……安住の場所を持つのが難しそうなサティの天体の配置と経歴です。
特に天王星・海王星といったアスペクトから、周りの人々の目に見えない声に過敏に反応してしまう不安定さが伺えます。

なかなか気の休まることがなかった幼少期ですが、それがサティの性格形成に影響を与えていると考えてもよいかもしれません。

 

奇行が目立ったり、変わり者、異端児と言われたのは、子供時代に慣れ親しんだサティ独特の居場所に所以し、大人になってから無意識のうちにそんな場を自ら作り出そうとしたからなのではないでしょうか。
そんなサティの唯一無二の親友であるドビュッシーとの交流も、諍いも多かったけれど心の安らぐものだったといわれています。ドビュッシーの月も同じく蟹座。お互いが相手の中に、安らぎを見出していたのかもしれません。

 

私が想う、サティの世界。
サティの曲を聴いていると、寄せては返す波にも似た、一定のリズムが根幹にあることに気づきます。サティの月が蟹座というのは意外でしたが、心の揺らぎとも言えるような波のリズムと蟹座の要素とが一致しているように感じられます。でもそれは決して感情的ではなく、海底から水面を見上げた時に見える、光と水の波形のように、静かに形を変え、また同じような形にもどる、その永遠に続く繰り返しのような曲たちなのです。

サティの音楽からは、人間的な温かさの印象は受けませんが、ニュートラルな温度を感じ取ることができます。それはぬるいお風呂に入ったときの、どこまでが身体だったかよくわからなくなるあの感じに似ていて 、それが私のチャートの、他の天体とアスペクトを持っていない水瓶座の月にとって、ちょうどいい温度のように感じるのです。

熱気漂う激しい曲は、一度聞けば満足で、毎日聞くと飽きてしまう。けれどサティの曲はその逆で、いつまでも、何度でも聴いていたい。そんな風に思わせる力があるのです。

 

サティにとっての音楽づくり。牡牛座は、その人らしさで満ちあふれた世界を大切にしています。
サティにとって作曲活動は、自分の求める居場所というものを、音楽を通してあらわしていくこと、そういった世界を築きあげることだったのではないでしょうか。時には音楽院や宗教、キャバレーといった中に自分の居場所を求め、転々としていったサティ。
けれど内的な音楽という中に、これまでの他人によって作り出された形式ではなく、自分が安らげる世界というものを、常に探し求めていた結果、今までにはない音楽を誕生させることになったのではないか、と思います。
ただ変わり者だった、というそんな言葉では片づけたくない、サティの際立つ個性にはちゃんとした理由があるのです。音楽と、人生の経験、そして天体は、相互に影響しあっているのです。

 

そしてサティの曲は、不協和音であっても居心地よく感じてもいいのだ、明るさのある軽やかな長調の曲だけが、心を癒すわけではないのだ、ということを私に教えてくれているように思えます。
人と違うやり方で、安らいでもいい。ノーアスペクトならではの、水瓶座の月ならではの心のいたわり方があっていい。そんなことを語っているかのように、静かに音楽は流れていくのです。

 

あなたにとって、サティの世界はどんな形容がしっくりとくるでしょうか?ぜひ聴いてみてください。

 

エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Eric Alfred Leslie Satie)
1866年5月17日フランス・ノルマンディー地方オンフルールにて生まれる。

13歳でパリ音楽院へ入るが、退屈さから退学。1987年にモンマルトルに移り、キャバレー「シャ・ノワール」、「オーベルジュ・デュ・クルー」で伴奏家として活動する中、ドビュッシーと出会い、交流を深める。後に神秘思想に傾倒し「薔薇十字教団」専属作曲家となる。郊外アルクイユに移ってからも、ピアニストとしてモンマルトルのキャバレーで演奏する。1905年42歳にして音楽学校へ再入学。対位法を学ぶ。

この後に詩人コクトーやパリのダダイズムの芸術家たちと交流の中で互いに刺激しあい、コクトー、ピカソらと舞台「パラード」を製作。生涯にわたり既成の作曲方法にとらわれない、独自の新しい音楽を作り上げた。1925年7月1日肝硬変のため死去。