好き?好き?大好き?~ラブドールと職業占星術というワーク

彼女「好き?好き?大好き?」

彼「うん 好き 好き 大好き」

彼女「なによりもかによりも?」

彼「うん なによりもかによりも」

彼女「世界全体よりもっと?」

彼「うん 世界全体よりもっと」


彼女「ほんとう(・・・・)に(・) 好き?好き?大好き?」

R.D.レイン『好き?好き?大好き?』

私自身は結婚も同棲も経験をしたことがありません。でも、恋愛の延長とは大きく違うことはわかります。

「セックスレス夫婦」という言葉も、マスコミでまるで問題があるかのように取り上げられていましたが、私はむしろセックスなしでも続いていく関係なんて一朝一夕でできるわけないのだから、夫婦というのはすごいものだと思っていました。

(一概にこうだと言い切れるものでもありませんが、そもそも結婚とセクシュアリティは別の話のはずです。混ぜて考えるから、結婚後はセクシュアリティを謳歌できなくなったりして、いろいろ問題が起こるのではないでしょうか)

恋愛は寿命が4年というけれど、では4年ごとに相手を取り替えないといけないとして、それは動物としては「自然」なことかもしれませんが、人間として結婚という社会的な契約をした以上、愛情だけでは持続しないものがあります。

だからこそ、夫婦というのは面白いのかもしれません。毎日の繰り返しに耐えることは、きっと想像以上にエネルギーのいることです。現実が気に食わないとか、政治や社会がと憂鬱になってばかりもいられない、日常における夫婦間の事件をどう乗り越えるか。

このあたりは私が周囲の既婚者やクライアントの方たちを見ていて感じたことで、いずれ機会があったら既婚者の生々しい意見なんていうのも直接聞いてみたいです。

以前の私は、自分の生活をまるごと血の繋がらない他人とともにしていくというのは、想像するだけで…..どこかおそろしい…..ものがありました。

現代ではもうあまりいないと思いますが、世のご婦人方が「彼とあたしは一心同体」と思いたがるのは、無理のないことかもしれません。じゃないと、家で振り返ったらまったく関係のない奇妙な人物がそこにいる、みたいな感覚になってしまう。結婚や同棲というのは一種の修行になるのかも?なんて思ったりします。

結婚のみならず男女が健やかに関係を育てていくのは大変だという事実があるのだから、一生独身というのもいいかもしれません(関係を維持するのが面倒くさいからという理由で独身を選ぶ人ばかりではありませんが)

しかし、現代ではそれ以外の選択肢があります。

 

ラブドールと暮らす人々

たまたま読んだ東スポWebの過去記事に3人のラブドールと暮らす男性の日々がレポートされていました(生理的に受け付けない人もいると思うので、あえてリンクは貼りません)

親密な関係性を生身の人間ではなく、二次元の世界や、三次元でもフィギュアなどの作品に求める人たちは今まででもいました。それは多分に性的な要素を孕むものもありましたが、このレポートではセックス目的で作られた人形と同居するという人間の物語を生々しく垣間見ることができ、それは視覚的にあまりにリアルにつきつけてくるものがあります。

実は私自身は人形好きで、一時期は球体関節人形を作ったり、人形展に通ったりしていたことがあります。あの冷たく硬直した肉体や、動かないガラス玉の瞳、ぎくしゃくした自動人形の動きに、生のリズミカルなエロティシズムとはまた別のエロスを感じていました。肉体の檻の閉じ込められたエロスに惹かれていたのです。

だからこのレポートを読んで、こういう人たちと私はもしかしたら同じフィルムのネガとポジなのでは?と思う自分がいます。彼らはラブドールの○○ちゃんのウィッグや身体のパーツを換え、「僕のお気に入り」に仕上げる。私も、自分のイメージする世界を写真の中に閉じ込めて作成していく箱庭の遊戯の楽しさを知っているから、その部分では彼らのことを気持ち悪いとも言っていられないのです。

ただ、違うのは彼らには関係性とセックスが含まれるということです。彼らの多くはラブドールを「性処理のための存在ではなく、親密感を感じる存在なんだ」と主張します。

まるで現代の写し絵のよう…..インターネットというサイバー社会で関係性の代替を得る現代、現実なしでも脳内シナプスが発火すれば、仮想空間で関係性が満たされるような「幻想」を仕立てあげることがいくらでもできるのです。

ラブドールと暮らすようになることが、いいことか悪いことかなんて、よくわかりません。押井守の『イノセンス』を見ると、この監督は人間よりも人形が好きなんだな、と思います。こういう人たちはけっこういるのかもしれません。

目の当たりに写真を見ると感じるこのグロテスクなものはなんだろう?私の中にもあるものだからなのかしら…..?自閉症ばっかりね。

 

職業占星術というワーク

このようなことを考えながら、先日参加した職業占星術の勉強会のことを思い出していました。

職業占星術とは、いわゆる星占いの「魚座さんの天職は芸能界や芸術、映像関係や占い師・・・」というのではなくて、個人のもっとも深い欲求であるICと社会貢献ができる所属であるMCをつなぎ、矛盾のない生き方を探り、さらに時代や環境から孤立しないようにしていくための働き方を提案するというものです。

これがなかなか大変だけど面白くて、毎回ワイワイやっているのだけど、もともとネイタルがバランスのいい人もいれば、この人が働いたらどこでもブラックになりかねない、というときもあります。

いろいろな人がいるけれど、それでも欝だろうが人間嫌いだろうが地雷のようにデリケートなポイントをもっていようが、困難な生い立ちや病気があろうが…..個人が手を伸ばせる最善を探して社会参加できることを諦めずに提案していきます。

毎回けっこう白熱して読むので、最後にはもう他人とは思えなくなっているほどです。
(会ったことない人なんだけどね)

何か大きなことやりそう!って、絶好調な人のホロスコープを読むと今のうちに友達になっておこうよ!なんて盛り上がります。
(会ったことない人なんだけど…笑)

ラブドールと暮らしている人がインタビューで「彼女たちは裏切らないから」と言っていました。

それは、そうでしょう。セックスの最中に彼女の高級シリコンの肌が急に溶け出したりでもしない限りはね。じゃあ彼らが人一倍傷つきやすいのかどうかはわからないけれど、心理占星術を学んでいる私たちだって、普通に傷つくし、人間関係に疲れるし、病気になったり立ち往生したりしています。

それでも職業占星術に限らず、初級講座からネイタルを深く読み込めるよう何度も練習してきて、じゃあどうやって生きよう?どんだけ思い切り喜んで、いかに悲しんで、思春期がどうだったとか、楽しんで老いていくには?とか、健康を喜ぶけど病気や介護で社会活動ができないときも、それを必要な心の体験の時期としていけるかとか…..そんなふうに向き合ってきたと思っています。

みんなそれぞれアチコチ凸凹だし…..でもそんな自分を愛していくことができるように。

本当はもっとハイレベルな方が多いのですが、現代天王星タイプの私は甘ちゃんなので、こんなふうに思えているのが幸せです。

高級シリコンの○○ちゃんと
どこかの誰かがしたプログラミングと
そして私

ぜったいに裏切られないし、傷つかない、傷つけない、平和な世界。
でもそれしかない世界。

私はそれはさびしいなぁ。傷ついたっていいじゃん。むしろ気を使ってばかりの現代で、本当に傷つくことなんてあまりないのかも?とも思えます。

何かあったとしても、傷つきやすくたって、いいじゃん。

花はあんなに、はかなさを顕にして堂々と咲いているよ。

勇気がいることだけど、傷つきやすさを許して、それをオープンにしていければ、人を諦めないですむと思うのです。 職業占星術は思考も直感もフルに働かせて、たくさん喋って表情筋を動かしまくる、若さを保つウルトラ水星美容です。ラブドールじゃない私たちが元気に年を重ねていくためにも、どうですか、水星美容。