2023 山羊座~森茉莉の言葉┃心理占星術の到着点、誇張なしに自己を理解、表現できるか『自分は自分のままでいい』

      アポロンの竪琴

2023 山羊座~森 茉莉
心理占星術の到着点
誇張なしに自己を理解し
表現できるか
『自分は自分のままでいい』

著名人の言葉から12の太陽サインの生き方を考えてきた「今月の言葉」がリニューアル!

自分の理想=太陽を生きるためには、何が必要なのだろう。

水星神ヘルメスが発明した太陽神アポロンの竪琴の神話をご存じですか。太陽の理想や意図は、水星という竪琴=言葉があるからこそ美しい音色を奏でることができるもの。太陽の言葉=アポロンの竪琴のメッセージに耳を澄ませてみてください。

あなたの生き方、働き方のヒントを受け取ることができるかもしれません。

心理占星術家nicoが選んだ今月の竪琴
山羊座・太陽の言葉は…

 牟礼魔利は、自分の部屋の中のことに関しては、細心の注意を払っていて、そうしてその結果に満足し、独り満足の微笑いを浮べているのである。魔利の部屋にある物象という物象はすべて、魔利を満足させるべき条件を完全に、具えていた。空罎の一つ、鉛筆一本、石鹸一つの色でも、絶対にこうでなくてはならぬという鉄則によって選ばれているので、花を呉れる人もないがたとえば貰ったり、紅茶茶碗、匙、洋杯の類をもし人から貰ったとすると、それは捨てるか売るより他に、なかった。原因は魔利という人間が変っているということの一事に尽きるが、それを幾らか解るように分解すると、次のようになる。魔利は上に「赤」の字がつく程度に貧乏なのだが、それでいて魔利は貧乏臭さというものを、心から嫌っている。反対に贅沢と豪華との持つ色彩が、何より好きである。そこで魔利は貧寒なアパルトマンの六畳の部屋の中から、貧乏臭さというものを根こそぎ追放し、それに代るに豪華な雰囲気をとり入れることに、熱中しているのである。方法はすべて魔利独特の遣り方であって、見たところでは、何処が豪華なのか、判断に苦しむわけである。

著書『贅沢貧乏』より

山羊座の言葉

森 茉莉(もり・まり)
1903年1月7日、東京生まれ。太陽、金星、土星を山羊座に持つ。

エッセイスト、作家。
作家、森鴎外の長女として生まれ、溺愛されて育った。16歳でフランス文学者の山田珠樹と結婚。その後渡仏し、ふたりの息子にも恵まれるが、10年たたずに離婚。再婚は大学教授であったが、1年足らずで結婚生活に終止符を打つ。「暮しの手帖」編集部に身を寄せるなどして暮らしを立て54歳でエッセイ集「父の帽子」を発表。「贅沢貧乏」「私の美の世界」「恋人たちの森」など作品を多数、世に送り出した。

 

しつこく書いていることだが、星占いによくある典型的な12サインの象徴解釈のバリエーションを増やし、もっと豊かな表現で人物像を語ってみたいというのが「アポロンの竪琴」を書き始めた理由だ。

「”双子座はおしゃべりが好き”とか、そんなお決まりの象徴を体現している人なんてどこにもいないだろう」というのが、まだ占星術を学び始めたばかりの私の率直な考えであったし、事実、日々鑑定をしていても、そんなベタな12サインを生きている人にはこれまで出会ったことはない。

もちろん山羊座の象徴解釈だって例外ではない。「コツコツ努力する」とか「野心を持って社会化する」とか、そんなつまらない表現を現場で使ったら商売上がったりだ。

何かもっと、その人物の核心に触れる象徴表現をしてみたい。

これは私の仕事に対する情熱の一つだが、そんなこんなで木星の公転周期をぐるっと一周分、12年を経た今も、まだこのモチベーションを保ち続けることができているのだとしたら、12サインそれ自体も奥が深く、象徴を用いて人/人生を表現するにも研鑽の歩みが必要だと言うことだ。

さて、今回の「アポロンの竪琴」は、山羊座の森茉莉だ。このエッセイは小品なので、私の解説を必要とすることなく、山羊座のサインの魅力が手に取るようにわかるのではないかと思っている。文章の隅々まで山羊座・活動サイン・地エレメント・土星・社会サインといったエッセンスが書き尽くされているのだ。

先に取り上げた言葉はエッセイの冒頭部分だが、読んでわかる通り、地エレメントのこだわりがあふれている。

 魔利の部屋にある物象という物象はすべて、魔利を満足させるべき条件を完全に、具えていた。空罎の一つ、鉛筆一本、石鹸一つの色でも、絶対にこうでなくてはならぬという鉄則によって選ばれている。

この「完全に」とか「絶対に」とか「鉄則」とか、なんとも土星・社会サイン的な「オレ感」があふれていていい。

 方法はすべて魔利独特の遣り方であって、見たところでは、何処が豪華なのか、判断に苦しむわけである

この辺の人の理解を求めず、自分の感覚に突っ走っていく感じは、活動サイン、地エレメントの完成形という感じが余すところなく表現されているし、また木星、土星を支配星に持つ社会サイン(射手座、山羊座、水瓶座、魚座)も、このくらい内向きなオタク感があったほうが迫力があっていい。他の人のことは知らんけど、自分の世界はこんなにも豊かなのだ! というような独自の世界観。判断基準は自己の内なるものさしでしかないわけだから、「見たところでは、何処が豪華なのか、判断に苦しむ」というように他者にはそれを測るすべがない。ということは、「他者のいいね」は端からあてにしていないということだ。

これらのテキストだけでも十分山羊座の魅力が語り尽くされているが、もう一つ、山羊座の魅力について言及しておきたい。

それはまた、森茉莉の人気の理由の一つでもある、『自分は自分のままでいい』という前向きさがあふれていることだ。

 罐詰は開けられぬし、重いものは持ち上らない。既に美しくない中老の、スウェータア姿の魔利の生活が、見かけは何処かのおばさん――勿論よくよく見れば、争えぬ品位というよりはのろまな感じが、用をしたことのない人間を、表明しているが――のようであるにも係らず、王朝時代のお姫様の手のろさで、行われているのである。少し大げさに、卓なぞを動かして掃除をする魔利のようすは、紫式部か和泉式部の掃除、といった見栄である。

ここには、山羊座=土星=10ハウスを表す重要な表現が示されていると考えられる。どういうことか。

それは、掛け値なしというか、誇張することなしに自己を理解し、それを適切な言葉で表現しているという点だ。そこに真の自己愛というのがあり、私たちが目指すところの『自分は自分のままでいい』という前向きさがある。ここから考察できることは、ホロスコープの到着点、心理占星術の到達のイメージとは、真の自分の発見ということになる。

最後にもう一つ、森茉莉の山羊座=土星=10ハウスらしい表現をここに紹介したい。

 空は魔利の頭の上に、無限に青く透ってつづき、魔利はボサボサの髪の下に、十三歳の少女の顔がそのまま中老になったという、不思議な顔を耀かせて、歩いて行く。淡黄の顔の高頬の辺りにはよく見ると、紅い細かなぶつぶつがあって、頬紅をつけたような紅みが差している。上脣の縁には面疔の痕が、小さな紅い痣のようになっている。象牙いろのスウェータアの上に紺の襟附カアディガンを着、合わせた襟元を木製のブロオチで止めている。ご自慢の小豆色と灰色のチェックのスカアトをはき、畝編みの薄茶の長靴下に、淡黄の皮のサンダルを履いた足は、中老の女にしては元気な、妙に稚い足つきで、楽しそうに歩いて行く。そうして小声で、モツァルトのオペラの一節を、歌うのである。

今の時代には、森茉莉のような精神が必要だ。「映え」とか「盛る」とか抜きに、あるがままを生き、伝え、楽しむことができる森茉莉のような単純な明るさと冷静な知性が。何でもない日常をハレの日のように楽しむ感性が。

せめて、冥王星が山羊座を行ったり来たりしている間に、そこに山羊座の太陽、火星が運行している間に、『自分は自分のままでいい』という在り方を考えてみたいと思う。
 

公式サイトの講座詳細ページにリンクします

山羊座の太陽 ~アポロンの竪琴