2024 双子座の言葉 太宰治┃人間というのは常に「一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているもの」

      アポロンの竪琴

2024 双子座┃太宰治
人間というのは常に「一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているもの」

自分の理想=太陽を生きるためには、何が必要なのだろう。

著名人の言葉から12の太陽サインの生き方を考える「アポロンの竪琴」。

水星神ヘルメスが発明した太陽神アポロンの竪琴の神話をご存じですか。太陽の理想や意図は、水星という竪琴=言葉があるからこそ美しい音色を奏でることができるもの。太陽の言葉=アポロンの竪琴のメッセージに耳を澄ませてみてください。

あなたの生き方、働き方のヒントを受け取ることができるかもしれません。

心理占星術家nicoが選んだ今月の竪琴
双子座・太陽の言葉は…

田村茂 – 八雲書店『太宰治全集 第1巻 (晩年)』(1948年刊), パブリック・ドメインによる

君はギリシャ神話のパンドラの匣(はこ)という物語をご存じだろう。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪慾、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這はい出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅すみに、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。

それはもう大昔からきまっているのだ。人間には絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷(いちる)の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。それはもうパンドラの匣以来、オリムポスの神々に依よっても規定せられている事実だ。楽観論やら悲観論やら、肩をそびやかして何やら演説して、ことさらに気勢を示している人たちを岸に残して、僕たちの新時代の船は、一足おさきにするすると進んで行く。何の渋滞も無いのだ。それはまるで植物の蔓つるが延びるみたいに、意識を超越した天然の向日性に似ている。

小説『パンドラの函』より

双子座の言葉

太宰 治(だざい・おさむ)
1909年6月19日青森県五所川原市金木町生まれ。双子座に太陽、水星、冥王星を持つ。

小説家。
東大在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。

 毎月、当連載『アポロンの竪琴』を書いている目的は、文学を論じることでも人物そのものを論じることでもなく、定型化、形骸化した12サインの象徴の解釈を捉え直すこと、また逆に、あまりに構造を無視した都合のいい象徴の解釈を捉え直すことにある。

 またアポロンとヘルメスの神話における二人の関係性に見られるように、太陽は常に水星の助けによって「らしさ」が表現されるという考えから、個人の残した言葉を理解することで、太陽サインの「らしさ」がよりはっきりと見えてくるのではないかと考え、このように人物の言葉からサインのイメージを膨らますという作業を続けている。

 太陽とは現在進行のエネルギーである。恒星の輝きが私たちに届くのに早すぎることも遅すぎることもない。その輝きを暗闇から発見したときこそが解釈のタイミングであり、その輝きに意味を見出す瞬間である。2024年現在、太宰治の太陽の光はどのような輝きを放っているのだろうか。

 占星術の持つ構造をできる限り正しく扱いつつ、今の私たちにふさわしい解釈を探っていく。そんな作業をここでやっていきたいと思っている。 

 ということで、『2024年アポロンの竪琴・双子座編』では、文学ファンの憧れの星?である太宰治を取り上げてみる。といっても文学を論じるわけではなく、彼の言葉から双子座のエッセンスを取り出してみることをやってみたい。

 3番目のサインで柔軟サイン、そして風エレメント、これが双子座の持つ構造である。柔軟サインは、他に乙女座、射手座、魚座があり、風エレメントは他に天秤座、水瓶座がある。このように整理しているだけで、双子座サインというのが限りなく理想主義であり、希望をもとに生きるサインであることがわかってくる。

 キリスト教の教義の一つである三位一体やヒンドゥー教の理念である三神一体からもわかるように、3という数字はものの原型となる不変的な存在、根底にある考え方や「このようにあるべき」という価値観を表していると考えられている。

 理念があることによって、進むべき方向、目指すべき指針のようなものが明確になり、ものの存在の輪郭がクリアになっていく。これが双子座(水星)――射手座(木星)の補完関係の意味となる。双子座で根底の考え方をつくり、それを掲げて木星の方向へと進んでいくということだ。

 ネイタルチャートに柔軟サインを多く持っている人たちが口癖のように「私は飽きっぽく、やることなすこと続かない」、「人に振り回されやすい」などと言う。それは、他者の考え方や価値観によって支配されているか、本人がそういった生き方を心のどこかで良しとしているからだ。自分の考え方の土台、理念、理想はそう変わらない。「このように生きたい」と思ったら、大抵の人はその考えに準じた人生を選択する。だが本来、柔軟サインは射手座に代表されるように「矢を射る」ことが得意である。つまり、自分の目的に向かって突き進むことを良しとするサインであるわけだ。

 また、風エレメント(Ⅲ双子座、Ⅶ天秤座、Ⅺ水瓶座)も理想主義的な特徴を持っている。数字を見てもらうとわかるが、3、7、11は素数である。他のものと混ざり合わずに独自の考えをもとに生きていきたいというこだわりがそこに見え隠れしている。以下、3番、7番、そして女帝の補完関係にある17番目のカードを見てもらいたい。すべてのカードに星が描かれている(女帝の冠、戦車の天蓋、空)のがわかるだろうか。星はまさしく目指すべき指針、掲げるべき理念という意味である。

 火エレメント(1牡羊座)、地エレメント(2牡牛座)でつくった自己感覚を持って、自分の理想の世界へと出発していく。風は動きをつくるエレメントであるが、「どこに向かうのか」が明確になっていないと戦車も行き先がわからず足踏みしてしまう。だから、自分の根っこにある「あっちのほう」くらいはちゃんと知っておく。

 双子座は、そして双子座の時期は、大いに理念を語っておきたい。「たどり着けるのかどうか」「やり切れるのかどうか」といった懸念は3番目のサイン双子座期には関係ない。自分自身の根本的な考え方、価値観を明らかにしておくだけで十分だ。そうすれば、必ず風は起こる。
 
 太宰が言っているように、人間というのは常に「一縷(いちる)の希望の糸を手さぐりで捜し当てているもの」なのだ。必ずどんな人の中にも、その人の原型をなしている「希望の糸」は存在している。そして、希望を乗せた「新時代の船」は、「一足おさきにするすると進んで行く。何の渋滞も無いのだ。それはまるで植物の蔓が延びるみたいに、意識を超越した天然の向日性に似ている」ものなのだ。

 『パンドラの函』はこのように終わる。

 僕の周囲は、もう、僕と同じくらいに明るくなっている。全くこれまで、僕たちの現れるところ、つねに、ひとりでに明るく華やかになって行ったじゃないか。あとはもう何も言わず、早くもなく、おそくもなく、極めてあたりまえの歩調でまっすぐに歩いて行こう。この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。

「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです」


さようなら。

太宰治・著『パンドラの函

 木星は、これから一年をかけて双子座を運行する。争いも貧困もなくならず、むしろ世界はパンドラの函のふたが開きつつあるような、そんな気さえしてくる。実際、占星術的な象徴では神話のパンドラ―は風エレメント・水瓶座の象徴である(前述の17番目のタロットカード「星」もパンドラの象徴となっている)。破壊の天体・冥王星は、これから20年ほどかけて水瓶座を運行する。

 だからこそ、自分の蔓くらい陽の当たる明るい方向に向けて伸ばしていくべきではないか。自分が明るければ、きっと周囲も「ひとりでに明るく華やかになって行く」はずなのだ。

 「どこに向かうか」は自分の根本に聞いてみるのがいい。必ず、自分の中に答えがあるはずだ。タロットカード「ⅩⅦ The Star」のカードのように自分の内をのぞき込めば、きっと自分の理念は見えてくる。なぜならば、一人一人の中に必ず「希望」と書かれた小さな光る石があるはずなのだから。

 むしろ「あらゆる不吉の虫が這(はい)出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻」るくらいでないと、人は本当の「希望」が見えてこないのかもしれない。ごくごく根本にある理念がわからないのかもしないのだ。


 余談だが、本当は太宰作品の中で最も好きな『女生徒』を取り上げたかったのだけれど、この話はまた今度。

双子座の太陽 ~アポロンの竪琴