2024 水瓶座の言葉 小松左京┃もっともプリミティブ(根源的)なところへ還る~過去の理解から予言的な態度へ

      アポロンの竪琴

2023 水瓶座┃小松左京
もっともプリミティブ(根源的)なところへ還る
過去の理解から予言的な態度へ

自分の理想=太陽を生きるためには、何が必要なのだろう。

著名人の言葉から12の太陽サインの生き方を考える「アポロンの竪琴」。

水星神ヘルメスが発明した太陽神アポロンの竪琴の神話をご存じですか。太陽の理想や意図は、水星という竪琴=言葉があるからこそ美しい音色を奏でることができるもの。太陽の言葉=アポロンの竪琴のメッセージに耳を澄ませてみてください。

あなたの生き方、働き方のヒントを受け取ることができるかもしれません。

心理占星術家nicoが選んだ今月の竪琴
水瓶座・太陽の言葉は…

 

例えば探検家の記録であれ、作り物の冒険小説であれ、それを読んで手に汗握る疑似体験ができれば、あなたや私の1回きりの人生が拡大されたことになります。

 つまり本来なら1つしかない人生経験が、横に向かって拡大していくのです。

 疑似体験による「生」の拡大は、なにも同時代を横に拡がるものだけではありません。現在から出発して、何万年もの過去や未来を描いたものに出会ったなら、みなさんの「生」は限定された実存的な人生を超えて、遠く時空間の果てにまで拡がるかもしれません。

 一人の人間の実存というものは、その閉じ込められた「孤立」の壁を越えて、巨大な人類全体にまで拡大することができます。

 そして個人の限定された数十年の生命は、数百年の過去の人たちが生きた体験を、自分のものとして体験することができる。


 場合によっては、数百年、数億年までの人生を拡大できる人もいる。私はそれを非常に価値があることだと思います。フィクションというのものは、ある一つの個体に閉じこめられ、1回きりの人生を送るしかない微塵のような我々の存在の中にも、そういう可能性が潜んでいることを証明するものなのです。

 あるいは、こうもいえるかもしれません。
 我々はSFという方法を得て、もっともプリミティブなところへ還ってきたのだ、と。

著書『未来からのウィンク』より

水瓶座の言葉

小松 左京(こまつ・さきょう)
1931年1月28日、大阪生まれ。太陽を水瓶座に持つ。

SF作家。
京都大学文学部卒。1962年、SFマガジン掲載の「易仙逃里記」で商業誌デビュー。「復活の日」「さよならジュピター」「首都焼失」「虚構回廊」など長編、短編と様々な作品を発表。1973年の「日本沈没」は上下巻合わせて400万部を超えるベストセラーで社会現象となる。

今回のアポロンの竪琴は、人選に一ヶ月ほどの時間を要してしまった。折口信夫にしようか、それならば獅子座で柳田國男を書いてからにしようか、二人の水瓶座生まれの哲学者、九鬼周造と田辺元を対比させ「正と死」について考えてみようか、それとも今こそ水瓶座生まれの婦人解放運動家、平塚らいてうと伊藤野枝を取り上げてみようか、とあれこれやっているうちに時間だけが過ぎていった。が、このような時間、空間を超えた知的探索こそが水瓶座的喜びであり、目指すべき活動なのかもしれない。

私はたった今、仕事や介護で時間に制約はあるけれど、人々の幾多の「生」に触れることにより、「限定された実存的な人生を超えて、遠く時空間の果てにまで拡がる」体験、「閉じ込められた「孤立」の壁を越えて、巨大な人類全体にまで拡大する」体験をしている。だから決して孤立することなく、むしろ精神の自由を感じることができている。これが太陽・水瓶座期の可能性として考えられるのではないだろうか。

小松左京は予言的な作家だと言われている。代表作の『日本沈没』では、人々を襲う地震や津波、噴火や火災が生々しく描かれ、その後日本を襲う震災を予見させるものであり、『復活の日』は新型感染症のパンデミックで人類が滅亡する危機を描いた。上記の作品も含めて、高度成長に浮足立った日本人に対する警鐘を鳴らす、リアリティを帯びた作品であったことは間違いない。

『日本沈没』では、このようなセリフを言わせている。

 世界の荒波を、もう帰る島もなしに、わたっていかねばならん……。いわばこれは、日本民族が、否応なしにおとなにならなければならないチャンスかもしれん……

著書「日本沈没」より

失われた30年を経て、私たちは今、弱い日本、安い日本を目の当たりにしている。世襲で選ばれた政治家たちの幼稚さは増すばかり、2023年6月の発表のジェンダーギャップ指数は146か国中125位という情けなさだ。



「否応なしにおとなにならなければならないチャンス」はこれまで幾度となく日本を襲っていたはずだ。バブルの崩壊もそう、数々の天災もそう、もちろんパンデミックもそうだ。「日本から大人がいなくなった」と言われて久しいが、小松左京が1973年に問題を喚起していたにもかかわらず、日本民族は一向に「おとな」になる様子はない。

小松左京はなぜこのように予言的になれたのだろうか。これは水瓶座のどこに由来しているのだろうか。

占星術において、水瓶座は「最先端技術」とか「流行」と言われることがままあるが、私はいつもこれらの言葉に違和感を抱いていた。水瓶座生まれの人は「最先端」から程遠い人も多く、どちらかといえば好みも保守的だったりする。かつて当連載でも取り上げた『地球へ…』の竹宮惠子しかり、SFの開祖、SFの父とも呼ばれる『八十日間世界一周』のジューヌ・ヴェルヌしかり、また『銀河鉄道999』の松本零士しかり。そして今回の小松左京もSF界を代表とする作家である。サイエンス・フィクション=空想科学小説というくらいだから、水瓶座は未来志向のサインなのではないか。

小松左京はこんなことも言っている。

 東京や地方都市に向かう飛行機や新幹線の中では、結構、週刊誌の類もよく読みます。記事の真贋はともかく、週刊誌には時代の情報が詰め込まれていることは紛れもなく、わがアンテナのどこかに引っかかってくるものもなくはないのです。

 もちろん、私の鞄の中には週刊誌以外に常に必携の書もあります。
 移動中の私の鞄にあるのは三冊の書。

 日本史年表。
 世界史年表。
 そして高等地図帳です。

 この三冊、学生時代に勉学の友としてあったときには、まことに無味乾燥にして度し難い代物に思われたものですが、データベースとしてみると、一転、すさまじい情報量を秘めた貴重な存在に変貌します。

著書『未来からのウィンク』より

未来を語るためには「どこから来たのか」という根拠、説得力のある根拠を提示する必要がある。そのためには、これまでの人類の歴史的歩みを理解し、また同時代を生きる人々の生き生きとした営み(真贋はともかく)を理解することである。これが水瓶座のサインの温故知新という象徴につながり、また予言的な態度につながるのだろう。

ともすると、やや啓蒙的(プロメテウス的)である彼らの作品は、『銀河鉄道999』の鉄郎しかり、『日本沈没』の小野寺しかり、つきつけられた命題に対し、実際どのように対峙していくか、どう解決へと自らを導けるかを問いている。一見時空を超えた物語でありながら、私たちと同じように悩み、苦しみ、愛し、愛されるという人間の根源的な生き様へと迫っていく。この深い洞察も小松左京を「予言的」へと導いたのかもしれない。

実際、手に取ってもらえればわかるが、彼らの作品にはヒューマニズムに満ちているのだ(ジューヌ・ヴェルヌも平和主義者として有名であった)。彼らは、小松が言っているように「SFという方法を得て、最もプリミティブなところへ還って」いこうとしていたのだ。

つまり、水瓶座の目指すことの一つは、「プリミティブなところへ還」ること、つまり原点に立ち戻り、人間の根源的な在り方を模索し、日本人とは何か、人類とは何か、我々は一体誰なのかを問い直すこと、「その閉じ込められた「孤立」の壁を越えて」人間理解を深めることあるのではないだろうか。

最後の風エレメント・不動サインである水瓶座が目指す「集合知」かもしれない。ただ好奇心を満たすだけでは面白くない。自らも考え、また人々にも考える契機を創出する、それが水瓶座の太陽活動の目標の一つでもあるのではないだろうか。
 
2024年の日本は、震災や航空機衝突事故で幕を開けた。このような時代に、「どうなるのか」「どう生きるのか」と不安になるのは必然である。しかし、ここからが我々の真価が問われるときであり、「否応なしにおとなにならなければならないチャンス」のときである。

最後にもう一つ小松左京の言葉を記す。

 これからどんな未来が我々を待ち受けているのか。その手掛かりはどこにあるのか。ただ漠然と先行きの不安に駆られたり、目まぐるしく変わる未来論にとらわれてはいけない。過去に何が起こり、どこで歴史が繰り返されたかを考えることも重要である。一見すると全く無関係に見える読書、遊び、議論の中にも未来を見極めていく思考の原点が隠されている。

著書『未来からのウィンク』より

2024年、恐れや不安、断絶、また力への欲望を示す冥王星が本格的に水瓶座へと移動する。山羊座に冥王星が通過している間に、社会が共有していた大きな物語は次々に姿を消した。人々はますます個人的な世界にこもり、外のつながりにより無関心になっている。そして自分の安全=価値観を脅かすものに対し、徹底的に嫌悪感を示す。多様性などどこ吹く風だ。

だからこそ2024年の水瓶座期は、積極的に外へと意識を拡大してみるのはどうだろうか。「閉じ込められた「孤立」の壁を越え」、人々が生きた数々の物語に身を委ね、「数百年、数億年まで人生を拡大」し、大いに「遊び」、大いに「議論」し、大いに今の空気を胸に吸い込み、そして過去を訪ね、未来に思いを馳せる、そんな自由な知的活動をしてみる。

そうすることで、自分なりの「集合知」を積み重ね、「どう生きるべきか」の解、解までいかずともヒントを得ることができ、また人の価値観を自分とは違う「価値ある知」として扱えるのではないか。

自分がそうすることで自らの中に潜んだ「可能性」の広がりを感じることができるのかもしれないのだ。

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水瓶座の太陽 ~アポロンの竪琴