
アポロンの竪琴
2025 射手座
パウル・クレーと谷川俊太郎
深く理解している場所から「選ばれた場所」へ
著名人の言葉から12の太陽サインの生き方を考えてきた「今月の言葉」がリニューアル!
自分の理想=太陽を生きるためには、何が必要なのだろう。
水星神ヘルメスが発明した太陽神アポロンの竪琴の神話をご存じですか。太陽の理想や意図は、水星という竪琴=言葉があるからこそ美しい音色を奏でることができるもの。太陽の言葉=アポロンの竪琴のメッセージに耳を澄ませてみてください。
あなたの生き方、働き方のヒントを受け取ることができるかもしれません。
心理占星術家nicoが選んだ今月の竪琴
射手座・太陽の言葉は…

「選ばれた場所」
絵:パウル・クレ- 詩:谷川俊太郎 『クレーの絵本』より
そこへゆこうとして
ことばはつまづき
ことばをおいこそうとして
たましいはあえぎ
けれどそのたましいのさきに
かすかなともしびのようなものがみえる
そこへゆこうとして
ゆめはばくはつし
ゆめをつらぬこうとして
くらやみはかがやき
けれどそのくらやみのさきに
まだおおきなあなのようなものがみえる
射手座の言葉
パウル・クレー(Paul Klee)
1879年12月18日、スイス・ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーに生まれる。太陽、水星を射手座に持つ。
画家、美術理論家。
音楽教師の父、声楽家の母という音楽一家のもとで育つ。四歳で祖母から絵を、七歳でバイオリンを始める。絵と音楽と詩作に天分を発揮したクレーは、二十一歳でミュンヘンの美術学校に入学。その後、絵画グルーブ“青騎士”のメンバーとして、また“バウハウス”の教授として、新しい絵画運動の一翼を担う。晩年は、ナチスによる迫害と、皮膚軟化症という奇病に苦しみながらも、目覚ましい創作活動を展開。絵と音楽と詩にあふれた生涯だった。
谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)
1931年12月15日、東京に生まれる。太陽を射手座に持つ。
詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。
十八歳のときに書いた何篇かの誌が文芸誌に掲載され、注目を浴びる。二十一歳で第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。以来さまざまな実験的な試みをして、日本語の詩の世界の豊かさを広げてきた。詩のほかにもエッセー、絵本、童話、脚本、翻訳など幅広く作品を発表。
心理占星術の講座、とりわけホロスコープ実践読み講座では、受講生の多くが「象徴を言語化するのが難しい」という悲鳴に似た声をあげる。
これはわたしのクラスだけではないだろう。占星術の学びを躊躇する人の多くは、「占星術は難しいもの」という考えを持っている人が多い。10天体、12サイン、12ハウスという象徴を使って、一人の人間の、または一つのイベントの物語を紡いでいく。組み合わせは無数であり、科学的な根拠も正解はないが、明らかにそこには独自の構造の働きと必然的とも思える解釈が存在していて、ホロスコープを読むたびに驚き、感動する。
確かに、このような感動を手にするのは険しい道のりなのかもしれず、この曖昧なものに共通言語を与え、同じ理解を目指すべく学ぶというのは限りなく難しいに決まっている。ゆえに、教えるたびに自分の能力のなさに落ち込む日々である。
そんなとき、わたしには立ち返る場所がいくつかある。そのひとつにクレーの絵画があり、また彼の言葉があり、谷川俊太郎のこの言葉がある。
象徴を言葉にしようとするとき、多くの人がこの詩のような体験――そこへゆこうとしてことばはつまづき ことばをおいこそうとしてたましいはあえぎ〈略〉けれどそのくらやみのさきに まだおおきなあなのようなものがみえる――といった体験をしているのではないだろうか。
これが射手座が目指そうとしている世界だと言ったらどのように感じるだろうか。
けれど、そうなのだ。よく最後の火エレメントである射手座・9ハウスについて「命がけの飛躍」という言い方をするが、実際、射手座が目指そうとしているのは、「深く理解している」と信じていた8ハウスまでの世界からの飛躍なのだ。8ハウスの世界にいたら、確かに「知っている」世界の中で安泰でいられるのかもしれない。なじみの人、なじみの作業、なじみのものの見方や考え方に甘んじていれば、何も怖いものはない。けれど、その先には自分の「知っている」がまったく通用しない世界があり、「わからなさ」に対する不安や挫折もあり、だからこそ可能性が広がってもいる。だからこそ、わたしたちは、くらやみのさきに まだおおきなあなのようなものがみえても「選ばれた場所」を目指し続けなければならないのだ。
それが9番目のタロットカード「隠者」の意味でもある。

クレーの墓石には、クレーのこのような言葉が刻まれている。
この世では ついに私は理解されない
いまだに生を享けていないものたちのもとに
死者のもとに わたしがいるからだ
創造の魂に 普通より近づいているからだ
だが それほど近づいたわけでもあるまい
わたしたちは生きている限りにおいて、どこかにたどり着くことはないかもしれず、生きている者から理解されることもないのかもしれない。
けれど、それでいいではないか。せっかく悠久の歴史を持ち、未来を予見する道具である占星術というものを学んでいるのだ。皆がタイパを求め、目標を達成するために躍起になり、経済的正義を求める中、空を見上げ「いまだに生を享けていないものたちのもとに 死者のもとに わたしがいる」と思うことは、占星術を学ぶ者として難しくないではないか。
谷川俊太郎は、
クレーは、グローマンの言葉を借りれば「現世から遠く離れたかなたに創造の拠点を置く」。それは私たちを取り巻く時空、つまり宇宙の在り方と等しい。そこでは此岸と彼岸が同時に存在している。人間と樹木が同じ自然に統合される。
と言った。そこはなんと静かな場所なのだろう。
正解を求めたくなったときこそ、クレーの不格好な線やら丸やら四角やら三角やらの絵画を眺めてみてほしい。もしかしたら、象徴が立ち現われる予感のようなものに近づけるかもしれないし、近づけないかもしれない。そんな「たましいのあえぎ」のようなものに触れ、可能性の広がりを感じてみるのはどうだろうか。