2024 乙女座の言葉 文豪ゲーテ┃「気に入るか入らないか」ではなく「現にあるもの」を探求せよ

      アポロンの竪琴

2024 乙女座┃ドイツの文豪・ゲーテ
「気に入るか入らないか」
ではなく
「現にあるもの」を探求せよ

自分の理想=太陽を生きるためには、何が必要なのだろう。

著名人の言葉から12の太陽サインの生き方を考える「アポロンの竪琴」。

水星神ヘルメスが発明した太陽神アポロンの竪琴の神話をご存じですか。太陽の理想や意図は、水星という竪琴=言葉があるからこそ美しい音色を奏でることができるもの。太陽の言葉=アポロンの竪琴のメッセージに耳を澄ませてみてください。

あなたの生き方、働き方のヒントを受け取ることができるかもしれません。

心理占星術家nicoが選んだ今月の竪琴
乙女座・太陽の言葉は…

いくら用心してもしすぎることがないのは、実験からあまり急いで結論を引き出さないこと、実験から何かを直接に証明しようとしたり、なんらかの理論を実験によって確証したりしようとしないことである。なぜなら、経験から判断へ、認識から適応へと移行するこの隘路でこそ、人間のすべての内面の敵が彼を待ち伏せているからである。想像力は、人間が相変わらず地面に触れていると思っているときにもう彼をその両翼で高い所へ連れ去っているし、性急・早計・自己満足・強情・思考形式・先入見・怠惰・軽率その他さまざまな名前の敵たちがここで待ち伏せていて、行動する人間だけでなく、すべての激情から守られているようにみえる冷静な観察者をも不意打ちをするのである。

著書新装版ゲーテ全集14 科学方法論,形態学序説,植物学,動物学,地質学,気象学,色彩論』より

乙女座の言葉

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)
1749年8月28日ドイツ・フランクフルト生まれ。乙女座に太陽と金星を持つ。

詩人、劇作家、小説家、自然科学者、博学者(色彩論、形態学、生物学、地質学、自然哲学、汎神論)、政治家、法律家。
ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残した。Wikipediaより

ゲーテのこの言葉は、私の好きな一節でもあり、今の時代の誰においても必要な態度だと思っている。

6番目のサイン乙女座・水星は、3番目のサイン双子座・水星の次の柔軟サインである。その後、9番目のサイン射手座・木星、12番目のサイン魚座・木星(海王星)と続いていく。水星と木星が支配するこのモダリティ*は、学びと成長がテーマになっている。人が年を重ねていく中で何に関心を持ち、どう世界と向き合い、何を頼りに世界を理解しようと努め、どう適応していくのかといった、個人の世界との対話のプロセスと関係している。

*モダリティ: 占星術における3区分、行動様式

乙女座・水星の体験でつまずくと個人の成長も中途半端なまま、世界を豊かに理解できないままということになる。これは生きる上で楽しくない。

では、乙女座・水星の体験とはどのような体験だろうか。それは、つまりゲーテの言葉そのものだと思ってもらっていい。

人でも物事でも自分の興味ある対象と対峙したとき、目の前に立ちはだかる「性急・早計・自己満足・強情・思考形式・先入見・怠惰・軽率」といった「内面の敵」と闘いながら、できる限り用心深く「経験から判断へ、認識から適応」をやっていく、それが乙女座・水星の体験となる。

知った気になる、わかった気になる、学んだ気になる、こういったことは私たちにとって日常茶飯事ではないだろうか。今のように情報があふれ、タイパだ、コスパだ、効率性だ等々と叫ばれる時代において、ゲーテのような姿勢で何かと対峙することなどあるだろうか。何倍速かで動画を観て、AIの要約テキストを読んで、オンラインセミナーで入門講座を受講して何かを本当に理解できるなんてことがあるのだろうか。

エコーチェンバー*やフィルターバブル**といった環境にどっぷり漬かりながら、異なる意見との接触を避け、自分の意見を補強する情報のみを目や耳に入れる状況の中で「性急・早計・自己満足・強情・思考形式・先入見・怠惰・軽率」といった「内面の敵」と闘いながら「経験から判断へ、認識から適応」なんてことが本当にできるのだろうか。私には疑問である。

*エコーチェンバー: 自分と似た意見や思想を持った人々の集まるSNSなどの空間内でコミュニケーションが繰り返され、自分の意見や思想が肯定されることによって、それらが世の中一般においても正しく、間違いないものであると信じ込んでしまう現象。または、閉鎖的な情報空間において価値観の似た者同士が交流・共感し合うことで、特定の意見や思想が増幅する現象

**フィルターバブル: インターネットの検索サイトが提供するアルゴリズムが、各ユーザーが見たくないような情報を遮断するフィルターのせいで、まるでバブルに包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること。

よほど意識しなければ、いや、意識したとしても、ゲーテが言う「すべての激情から守られているようにみえる冷静な観察者をも不意打ちをする」ような敵(敵とはつまり自分の心の弱さのこと)を前に、無自覚な者はあっという間にやっつけられ、「経験から判断へ、認識から適応」という乙女座的な体験を手にすることができずに一生を終えてしまうことになるのだ。

だから、私たちは今、自分にとっての正しさを判断することもできず、自分の能力をつかって、この時代にうまく適応することもできず、右往左往しながら日々を生きるしかなくなっているのかもしれない。

とにかく「あまり急いで結論を引き出さないこと」だ。この人は嘘をついたから悪い人だ! とか、「何かを直接に証明しようとしたり、なんらかの理論を実験によって確証したりしようとしないこと」だ。ではどうしたらいいのだろうか。ゲーテはこう言う。やや難しい表現だがゆっくりと読み進めてみてほしい。

気に入るか入らないか、引きつけるか反発するか、有益か有害であるかという尺度、この尺度をまったく断念し、利害を超越したいわば心的な存在として、気に入るものではなく、現にあるものを探求し研究しなければならない。われわれがある対象をそれ自身との関係および他の対象との関係において考察し、その対象を直接に欲求したり嫌悪したりしないならば、われわれは冷静に注意することにより、それについて、またその諸部分と諸関係についてまもなくかなり明確な理解を得られるだろう。

ゲーテは、自分が「気に入るか入らないか」、そういった「尺度をまったく断念」せよと言っている。「自己放棄」の姿勢が大切だと言うのだ。

「私だったらこうするのに…」と、つい自分の領域に引き寄せて物事を理解しようとしてしまうことがある。そうなると対象を理解するどころか、もしかしたら対象を見失ってしまうこともあるだろう。

こちらの判断=尺度を手放し、一旦、対象の世界へと飛び込んでみる。対象の置かれている環境や関係をつぶさに考察することで、その対象の詳細が理解できる。観察している間は、自己を放棄せざるを得ないというか、自己は一時不在になる。その不在を恐れず対象と向き合うことで、その結果「われわれがこのような考察をつづけ、いろいろな対象を相互に結合すればするほど、われわれの内部の観察能力はそれだけ多く訓練される」ということだ。

乙女座に太陽を持つ芸術家・棟方志功が1970年頃のインタビューでこんなことを言っていた。

私の作品はね、板の声を聞くというか、板の中に入っているものを出させてもらうというかね、板の持っている生命というんですかね、それと合体して自分に写すっていう。

関係性のパースペクティブを持つ乙女座の成長段階においては、一旦、自分を放棄し、観察対象と向き合うことが大切になるということだ。好き嫌いとかいいか悪いかといった尺度を手放し、「利害を超越したいわば心的な存在として、気に入るものではなく、現にあるものを探求」することでそのものを理解できるようになってくるわけだ。

すると、今、流行りのリスキリングなんてものはゲーテからすると、それは学びでも学習でも何でもないということになる。「こんなことを学んで何になるだろうか」「役に立つのだろうか」「仕事になるだろうか」「収入につながるだろうか」そういった「利害」が存在しているうちは、その対象そのものを理解することができないということになる。そんなものは対象からしたらどうでもいいことだ。それは「気に入るものではなく、現にあるもの」なのだ。外から来た者は、静かに観察者の世界に入っていくだけなのだ。

皆さんも何かを好奇心を持てる対象を発見し、もっと知りたい! もっと理解したい! と思ったら(双子座・水星)、「これを学んだらどうなるか」といった余計なことは脇に置き、まずは一旦自己を放棄することから始めてもらいたい。

ふとその対象の世界が語りかけてくることもあるかもしれない。

乙女座の太陽 ~アポロンの竪琴